世界の全学問の対立図【まとめ】

心理学・精神医学

1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・ワトソン。DNAの二重らせん構造を発見した人として有名です。
しかしワトソン博士は過去に何度も人種差別的な発言をしており、そのたびに称号を剥奪されて「科学的根拠のないものだった」と謝罪しています。

今回も「遺伝的に黒人と白人の平均知能指数(IQ)には差がある」という人種差別発言をしたことでコールド・スプリング・ハーバー研究所の名誉称号をはく奪されました。

Lab Severs Ties With James Watson, Citing ‘Unsubstantiated and Reckless’ Remarks – The New York Times
https://www.nytimes.com/2019/01/11/science/watson-dna-genetics.html

James Watson, Co-Discoverer of DNA Structure, Stripped of Honors Over Racist Statements
https://www.livescience.com/64492-james-watson-stripped-of-honors.html

私たち日本人は「理数系 vs 文化系」「目に見えるもの(根拠あり) vs 目に見えないもの(根拠なし)」なんて、世界的にも存在しないニセの学問区別で、ニセの教育を受けてきました。

なので欧米で「遺伝子で全て決まる」等の発言がされたとき、なぜそれが「人種差別」に結びつくのか分からないのです。

「nurture vs nature」
「後天か vs 先天か」
「環境か vs 遺伝か」
「左翼(リベラル) vs 保守(右翼)」
「人権 vs 自然法」

という対立を理解しておかねばいけません。

法学・医学・音楽・哲学・物理学…
近代科学(自然科学・社会科学)全てにおいてこの対立は共通です。

どの学問も各領域で独立していて無関係ということはありません。

リベラルアーツまとめ~正しい学問体系を知ろう~

数字を使うのが「算数」、数字を使わないのが「数学」~仏教を関数式で解く~

人間を重視する派 vs 神様を重視する派

この対立も日本人には分かりにくいことですが、宗教論理が根底にあるので人間か神様での対立があります。

「宗教」といった瞬間に、「理数系 vs 文化系」「目に見えるもの(根拠あり) vs 目に見えないもの(根拠なし)」という洗脳がパッと頭に出てしまう人は注意しましょう。
世界的にも存在しないニセの学問区別で、ニセの教育を受けてしまった我々日本人なのです。仕方ないです。

そこで「あぁ。文化系の根拠のない目に見えないものね。」と思考停止してしまうのが「リベラル・アーツ(自由学問:自由人の教育)」を習わずに、「奴隷教育」だけを受けてしまった我々日本人なのです。仕方ないです。

元々宗教は旧約聖書にもある通り「人間を皆殺ししまくる神様をどう論破して鎮めるか?」という神との対話からスタートしています。
だから徹底的に、論理的であり、数学的であり、理性的なのです。

ただ神の不在証明を目的とする派と、神の存在証明を目的とするする派。

神様の下の人間と人間のヨコの契約を重視する派、神様と人間とのタテの契約を重視する派。

簡潔に言えば
人間を重視する派 vs 神様を重視する派で大きく分かれているのです。

【科学】学問:サイエンス=自然科学・社会科学

日本の「学問」の約語には「scholary」と「scientific」があります。

しかし正確には、科学(サイエンス=自然科学・社会科学)のことのみ「学問」と区別されます。

〔学術的〕は場合scholarly。〔科学的〕な場合scientificと言います。

scholary(学術)は似た言葉で、スクールschool(学校)、スカラーscholar(学者)があります。
ギリシア語のスコレーskhole(暇)からできた言葉です。ブルジョワジー(富裕市民)の時間とお金にゆとりある自由気ままな人という意味です。

同じくstudyも語源である「[神様の信仰に]情熱を傾ける」という宗教的な意味です。

後述しますが、University(総合大学:神の宇宙の真理)を探求するのが「study」です。

近代以降、「学問」は〔科学的〕scientific(サイエンス)として使い分けられています。

nurture(ナーチャー) vs nature(ネイチャー)

nurture(ナーチャー) は、人は後天的に環境で改善する。
養育環境、周囲との関係性などの育ち方で決まる。

nature(ネイチャー)は、人は先天的にすべて決まる。
遺伝ですべて決まる。

としています。

「 nurture 」(ナーチャー)は「養育」。
これは「育ち方で決まる」「環境、周囲との関係性などの育ち方で決まる」ということです。

対する言葉は、生得の智(せいとくのち)。
「 nature 」(ネイチャー)。「自然」の意味の他にも、「生まれついての特徴」という意味があります。

behaviorism(ビヘイビアリズム)vs nativism(ネイティビズム)

behaviorism(ビヘイビアリズム)は、行動主義、教育改良主義。

人の行動で決まるので「 behaviorism 」 (ビヘイビアリズム)という言い方で区別されています。
「行動主義 、教育改良主義」(人は後天的に環境で改善する)となります。

nativism(ネイティビズム)は、固有主義、生来主義。

「 nativism 」。つまり「固有主義、生来主義」(人は先天的に全て決まる)ということです。

リベラルアーツという正しい学問体系を知ろう~

リベラルアーツに関しては過去記事で解説しました。

リベラルアーツまとめ~正しい学問体系を知ろう~

・世界基準では「自由人の学問」vs 「奴隷の学問」の対立がある
・総合大学(University:宇宙で一つの神の真理にstuby=熱意を傾けるする)vs 大学(College:人間の集まり。scientific(サイエンス)する。)
・総合大学(University)はリベラルアーツで近代以降の「自由人の学問」を学ぶ。
・対して工学(理工学・電子工学)や機械学などの技術系学問を「奴隷の学問」。
・リベラルアーツ学問体系を知っておかないと、理科を神様として崇めてしまう矛盾したことになる。
・理科系(サイエンス)でも博士がPh.D(哲学博士)な理由は、サイエンス(sci(神)のessence(流れ出たもの))が神の「哲学の派生」だと位置づけているから。

世界の学問研究は近代学問リベラル・アーツの側しかない

上記の図だとまるで左と右で今も大きく対立しているように見えますが、
現代は左側しかありません。

元々、中世の官僚と僧侶が神の名の下に腐敗しきっていたのに対して革命運動が起こり、「神なんているか」「人間は自由だ」(Liveral)と人間を重視するようになったのが科学(自然科学・社会科学)の発展の基礎だからです。

古典派(Classical)は従来どおり神様(数学)を重視していきました。

数学(神学)では、
「点が存在しない派」が神様が存在しない派。
「点が存在する派」が神様が存在する派。
があります。(ありました。)

「点」とは、「2つの直線が交わるところで、面積も体積ももたない」という定義です。

それが存在するのか?

点が存在していれば神様が存在しているということです。

しかし19世紀の天才数学者ロバチェフスキーの帰謬法、非ユークリッド幾何学の誕生により、今までの自明の真理である公理が、真理ではなく「仮定」となりました。
ニュートン力学も、慣性の法則も、運動の法則も、作用反作用の法則も真理と呼ばれていたが仮定になりました。

仏教は近代科学の先駆けだった ~非ユークリッド幾何学の誕生~2

現代数学では「無定義要素」と呼ばれています。
その名の通り「何も定義しない」ということです。
点や線などの定義をせずに無定義のままの公理を作って定理を導き出すという手法を取ります。

それ以降、不完全性定理なども相まって、今では世界中の大学から数学部(神学部=数学で神様の存在を証明する)はなくなりました。

宗教から近代科学への構造と発展~空による存在の定義と不完全性・不確定性~

ただ「神様が存在しない」としてしまうと単なる無神論の共産主義になってしまうので、「数学の世界には存在している」という解釈の幅だけは残して定義上は無定義にしています。

結果、数学は科学のためのツール(道具)としてだけ扱われるようになり、世界の学問研究は近代学問(リベラル・アーツの側)の立場で行われています。

【法】人定法→自然法→自然権→人権の法学の発展

法に関してもこれは同じです。

大きくは
人権(ヒューマン・ライツ) vs 自然法(ナチュラル・ロー)
という対立です。

法は、
自然法(ナチュラル・ロー)→自然権(ナチュラル・ライツ)→人権(ヒューマン・ライツ)
という形で発展してきました。

「法」が「権利」になると、神から人の手へ。より大きな枠組みで決められているとされます。

近代になるにしたがって古典派の自然法という神様の自然法則に対して、人の権利、人権があるのだと神から人の手へと移っていきました。

近代学問(自然科学・社会科学)において「自然法(ナチュラル・ロー)」は本質的に同じ意味です。
自然科学では、自然の物理法則。
社会科学では、法思想・政治思想。

古代より、この世(自然)には神(ラー:low:ロー:法と同じ語源)が支配する一貫性のある法則があると信じられてきました。

神様の定めたものを「自然法」と呼んでいたのです。

それが今では人間の権利であると「人権」まで発展したのです。

【政治】左翼(リベラル)vs 保守(右翼)(コンサバティブ)

政治の対立でも同じです。

左翼(リベラル)は多民族。
保守(右翼)(コンサバティブ)は先住民優位(血族優位)。

liberalism(リベラリズム)=自由主義

nationalism(ナショナリズム)=国家主義

という語源からも分かりやすいです。

リベラルの中のリバータリアン、ネオリベの違い

ただ細かく言うと現代は少しややこしくなっています。

中世に世界中で革命が起きた時点では、リベラル vs ナショナリズムという対立でわかりやすかったのですが、
現代ではリベラルがいきすぎて、国による増税・規制をし始めました。
リベラルが、かつてのナショナリズムと同じようになってしまいました。

この歴史的な経緯から、

リベラル(左翼)は、

●Classic Liveral:クラシック・リベラル:古典自由主義→リベラル(自由主義)の中で古い自由主義を重んじる。これがリバータリアン(Libertarian)になる。
一周回って小さな政府・減税の自由主義を重んじる古典的な保守主義に近くなっている。

●Neo Liveral:ネオ・リベラル(ネオリベ):新自由主義→リベラル(自由主義)の中で新時代的な管理統制を重んじる。一周回って新保守主義に近くなっている。実質ネオコン。

コンサバティブの中のトラディッショナル、ネオコンの違い

コンサバティブ(保守・右翼)は、

●Classic Conservative:クラシック・コンサバティブ:古典保守主義→コンサバティブ(保守主義)の中で更に管理的・統制的な国家主義を重んじる。伝統的保守主義(Traditionalist conservatism:トラディッショナル)とも呼ばれる。

●Neo Conservative:ネオ・コンサバティブ(ネオコン):新保守主義→コンサバティブ(保守主義)の中で新時代的な自由主義を重んじる。一周回って新自由主義に近くなっている。実質ネオリベ。

の4つに細かくは分かれています。

国を頼るのをやめなさい~パノプティコンを知ろう~

全体の性格と思想の検査結果(全体集計)

【経済】方程式 vs 恒等式

下記の記事でもまとめましたが、

本当の右翼と左翼の分け方を知ろう~Y=C+Iが方程式であれば有効需要の原理、恒等式であればセイの法則~~
https://libpsy.com/yci/6611/

有効需要の原理
Y=C+Iを方程式とする派
ケインズ理論(方程式)
大きな政府・増税・規制

という

セイの法則
Y=C+Iを恒等式とする派
ハイエクの古典派理論(恒等式)
小さな政府・減税・規制緩和

大きな対立があります。

これは「=(イコール)」の式をどう解釈するかによって生まれる対立です。

なぜリベラルのほうが大きな政府・増税・規制で、
保守のほうが小さな政府・減税・規制緩和するという真逆のことが起こっているかと言うと、

上述した歴史的な政治のねじれが起因しているためです。

学問対立が分かれば世界の学問がスッキリ見えてくる

だから「遺伝で全て決まる」と言う人がいたら、
「あぁ「神様がすべて決めている」という「予定説」を信じている人ね。信心深いのね。」と分からなくてはいけません。

「DNAは素晴らしい。配列と数字で解き明かせる。生まれながらに全ては遺伝的に決まっている。やはり我々の民族が一番優れていた。こんな完璧なものは神様が創造したに違いない。」とジェームズ・ワトソン博士は言いたいのです。

同じように、欧米の経済学者を見ていても「この経済法則こそ、神の数学!神の数学!神神神神!!」と「神」「数学」という言葉を多用しています。

数学=神学と結びついて、それが政治的な立場、民族主義、国家主義まで結びついていると分かると「なるほどそうか」と納得できます。

日本ではなぜか「遺伝で全て決まる」というと神様の話なんて出てくることもなく「ほーら、やっぱり全ては遺伝で決まるのだ。神様なんていないのだ。」と見下しに使う程度。
しかも1960年代に流行った無神論や唯物論を伝承したかのように、こういう人に限って無自覚に共産主義者になっています。
とっくに終わった無神論や唯物論を再び持ち出すのは、無知なのか無自覚なのか、いずれにしても見ていて時代遅れすぎて恥ずかしいです。

欧米だと「遺伝で全て決まる」は「ほーら、やっぱり神様の予定せし創造!素晴らしい!」と有神論者が使うのです。
「遺伝子も宿命であり、全て神様が決定しているんだ」「遺伝子こそ全てなんだ」という有神論を重んじるキリスト教プロテスタントのカルヴァン派の系譜の科学者に人気がありました。

なぜかこの宗教思想を、日本では無神論な唯物論者が唱える傾向があるという大矛盾した意味不明な事態になっています。

欧米の保守派(伝統・民族主義)ですが、日本人はリベラルアーツの対立図を知らないので「神の創造」「予定説」へ理解ができていないのです。

数学=必ず解がある=神の存在証明。
これに対する近代学問(理科:自然科学・社会科学)。

このリベラルアーツ的な歴史認識がないせいで、

数学者が神の存在否定したり、
科学者が絶対(=神)という言葉を使ったり、
論理矛盾で意味不明なことが起こっていてしまうのです。

もし神の存在を否定するなら、
(神様の創造した)「遺伝こそ全て」(nature)ではなく、
「人が決めている」(nurture)という「環境」(人との関係性が育ちに影響があるという)を重んじなければなりません。

今では100%(10:0)の先天的な遺伝子の優生学を唱える研究者は少なく、6:4や、3:7など割合で「遺伝と環境」の話を捉える人が大半です。

常にこれらの論争は決着がついたわけではなく、テロメアやサーチュイン遺伝子の話題などに代表されるように否定されたり、肯定されたりがアメリカのサイエンス誌やネーチャー誌で繰り返されています。

そもそも「絶対こうなる」と決着がついたらそれは科学ではなく宗教です。

新規性と更新性こそが科学であり、人の発展の歴史なのです。

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