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またこんなことを暴露すると、聞いて急性アノミーになった人(日本独自の理系・文系の分け方が正しいのだと頑なに信じ込んでる人)から反感を買いそうだけれども、世界の普遍的価値観な学問体系である「リベラル・アーツ」について、詳細に記載しておく。

先日も「リベラル・アーツは文科省が言ってない、自分は今まで習ってないから間違っている!」という意見が来た。
彼らは文科省の官僚が「円周率は3です」って言ったら「円周率は3って習った!これは世界共通!」とでも言うつもりだろうか。
そんなことやってるから日本の大学はいつまでもアイビーリーグ(アメリカのトップ大学群)に勝てない。
どんどんと世界ランキング下がっていく。

それもこれもリベラル・アーツを知らないからである。
リベラル・アーツを知らないので評価に値しないのである。
リベラル・アーツを知らないで「理科系・文科系」なんて謎の分け方を言うのは、「円周率は3だ」と欧米のプレゼンで言うようなものだ。
恥ずかしいからやめてほしい。

日本人はいつまでも「理数系・文科系」なんて独自のことをやってないで、
世界が当然のように昔からやってるリベラル・アーツを学ばなければならない。

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リベラル・アーツは、その名の通り「自由7科」。

神学・法学・医学を上級学部として、その準備過程に哲学、下級学科に文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、音楽をおく。

これらを「自由人の学問」と言うのに対して、工学(理工学・電子工学)、機械学などの技術系学問を「奴隷の学問」という。

リベラル・アーツは上級の神学部の通り、上に「神」を設定する。

文法・修辞学・論理学の三学科(trivium:トリビアム)の矛盾なき論理は神に通じ、
算術・幾何学・天文学・音楽の四学科(quadrivium:クアッドリビアム)の誰しも必ず一つの同じ法則・解・証明になる論理も神に通じる。

答え(解)が1つになることを欧米では古来より「神」として考えてきた。
この大前提を理解することが大切である。


理科系でも博士がPh.D(哲学博士)な理由

理科系で博士課程を修了した人の名刺を見ても「Ph.D」と書いてある。
これはPhilosophiae Doctorで「哲学博士」という意味。

だけども日本人は独自に文系と理系で分けてしまっているので、なぜ「理科系を修了して哲学博士なのか」意味が分からない。
リベラル・アーツを知らないから。

まず自由の学問(神学・法学・医学/哲学)と奴隷の学問(工学)の対立を知る必要がある。

なぜ工学(理工学・電子工学・~工学)や機械学が、リベラル・アーツ(自由人の学問)に対して「奴隷の学問」かというと、フランス革命以後1793年の「エコール・ポリテクニク(ecole polytechnique)」が起源となる。

これは技術のための基礎教育機関のことで、要するに奴隷教育機関。

元々、ヨーロッパ(欧州)のリベラル・アーツの価値観では「オレが手を汚してたまるか。物作りの技術は奴隷の仕事だ。」という考えがあり、今で言う工学系(技術系)を扱うのは技術=奴隷だった。

しかし、エコール・ポリテクニク以降、奴隷である技術職人がそれで飯を食い出して発展し、工学とか理工学とかが出来た。

けれどもリベラル・アーツの中には、元々無いので、神学・法学・医学の準備過程である下位の「哲学部」に入れられた。

だから今でも理科系の博士は「Ph.D」(哲学博士)と書く。

だリベラルアーツでは神学・法学・医学を上級学部として、その準備過程に哲学、下級学科に文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、音楽をおく。
これらを「自由人の学問」と言うのに対し、近代に哲学部に引っ付いた工学(理工学・電子工学・社会工学・金融工学)、機械学などの技術系学問は「奴隷の学問」である。

ちょうど中世のキリスト教にて「国王 vs 伝統(法=慣習)」つまり「国王・商工業者 vs 貴族(家臣・領主)・僧侶」の構図で、
商工業者を通じて金儲けの思想が国のキリスト教に入り込んで二枚舌になったのと似てる。工学(モノ作り)=農奴。

ここからキリスト教のカルヴァンの強烈な予定説のプロテスタンティズム(質素倹約して死ぬまで働くことが神への奉仕)。
そのエートス変革から資本主義へと向かうわけだけども、そこからの工学は、まさしく目的合理性(利潤最大化)。

当時のカルヴァン予定説(今も多くのプロテスタントではそうだろうが)のゴールイメージは、
「一生、質素倹約に働きまくって神に奉仕すれば、最後の審判で(少なくても)熱心なキリスト教徒なので救われる」であって、
やはり信仰(神)、工学(哲学部の下位)でも上位学部の神学部に向いている。

これが近代学問(自然科学・社会科学)の基礎の視点だが、ちょうどこの図を縦にして真理の方に神学・法学・医学があり、その下に哲学部、その下に他の近代学問が連なるような構図になる。

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法学とは、人が新しく作り出すものではなく、全宇宙が誕生したと同時に神様がすでに作った法則を発掘・発見する学問である。

エートスが変革するためには、間違いなくゴールの「外側」に達成・存在こそ不可能そうな理想の存在が必要。つまり神仏などの信仰がないと行動動機が頭打ちする。あるいは「内側」で達成可能な存在のみのゴールだと、達成した瞬間に構造上の矛盾を孕み、ここでも頭打ちする。

世界の学問体系基準リベラル・アーツを知らないために、日本の学問自体と学問好奇心、そして教育への意欲が劣っていくことは必然。
戦後の強烈な左翼知識人(共産主義=唯物論=科学万能主義)によって、
文系(精神論=観念論的)、理数系(唯物論的=近代科学的)で対立してると間違った洗脳を受けた。

この背景には戦争中に天皇が神であるという大和神話を重んじた精神論の右翼的な軍国主義の反動でもあった。

理系・文系という分け方は間違っている!(1) ~神学 vs 学問~
https://rextuseferu.seesaa.net/article/142022140.html

自由の学問(神学・法学・医学/哲学)と奴隷の学問(工学)

自由の学問(神学・法学・医学/哲学)vs 奴隷の学問(工学)。

この傾向は、アメリカのハーバード大学と、ライバル意識を持つマサチューセッツ工科大学と比較すると分かりやすい。

絶対にハーバード大学は、MITやスイス連邦工科大学やコペンハーゲン工科学校などの工科大学に対して「University(総合大学)」と言わせない。工学専門は奴隷だから。

更にもっと悲惨なことを暴露すると、日本にとって工学(理工学・電子工学など○○工学系)の筆頭が「東京大学」である。

これは欧米のリベラル・アーツ視点で見ると、「日本の一番の大学は、奴隷の養成所です。」と表明していることになる。

元々、東京大学は明治時代の政府官僚の庇護を受けた開成学校、医学校、昌平学校と工部大学校が集まって出来た大学である。

江戸時代まで武士は藩に入ること(公務員になること)が唯一の道だった。

しかし廃藩で武士は明治時代以降、この工部大学校に入った。このせいで日本は最初から工学部が偉かった。

これで武士の「上の者に従え」という儒学(朱子学)の教えが、東京大学(当時の工部大学校)に入り、工学のモノ作りが一番偉い、日本は技術職人が偉いんだ、会社も年功序列でモノ作りするんだ、という流れを作った。

繰り返すと、欧米のリベラル・アーツ視点では、武士=工学=奴隷=日本人である。

だからTwitterでも、茂木健一郎氏が「東京大学をリベラル・アーツに」とか、斉藤淳・イェール大学准教授が「リベラル・アーツを日本に根付かせないと」とか、副島隆彦氏が「リベラル・アーツを理解しない限り日本人は劣り続ける」と言うのはそのためである。
これらに関しては心底、同意する。

欧米から見ればリベラル・アーツの学問体系でないのに理科系をやるのは、はっきり言って奴隷でしかないからだ、ということ。

これは海外で学問の本当の実状を、正確に理解して知ってる人だけが分かる話である。


日本の数学研究は優れているのに理数系という分け方のせいで台無しに

日本は国際比較すると「数学」に関連する研究が優れている。

これは、日本の数学が高校課程で世界の大学レベルに達していることや、神学を上位学問においたリベラル・アーツが、不完全性定理により神が死んで、数学全般がランダムで必然でないという仏教の唯識的な結論に達したから。と様々に理由はある。

しかし、神の不在証明を受け入れがたい欧米人に対して、日本人の方がアノミーにならず柔軟性があったから。

だけども数学が優れてるというと、日本人は「理数系」なんて、理科(不完全帰納法)と数学(完全帰納法)という論理を一緒にしてしまっているから、
「やはり理数系が優れていた。科学万能主義万歳!唯物論万歳!」と中国共産党の手先みたいな人々が喜ぶという本当にバ力でバ力な世界が展開されている。

日本人は、これから唯識論を正確に理解しなければならない。

有vs無とか中国道教の洗脳から抜け出さないといけない。そのために理科的な実験的再現性ではなく、数学的な論理的整合性を重視しないといけない。

だから、あえて矛盾なき論理証明=神に通じるリベラル・アーツを基礎に学ばないといけない。

中高生で「理数系の偏差値が云々…」と理科と数学を一緒に考えてる人や、偏差値や平均点を統計的に妥当性のある万能な数字だと勘違いしている人を見るとウンザリする。

文科省官僚の偽教育を鵜呑みにした手先の奴隷でしかない。

更に先生や教授でも同じような価値観の人がいると、立ち眩みがする。

明らかに唯物論の人というのは、独善的で他者卑下的で排他的である。

これは毛沢東(中国共産党)の唯物論で大虐殺した天安門事件や、日本の理科系科学者の集まりであった新興宗教のオウム真理教でも明らかなことだ。

日本はこれに有vs無の中国道教と、工学(モノ作り)が偉いとする武士の儒学(朝鮮)が入って、更に深刻化してる。

中国の道教と中国共産党の科学崇拝は、日本人視点だと宗教と科学で一見反発してるように見えるけど有vs無という考えは融和している。
ここに金儲け主義(立身出世)の関羽信仰が中国人には人気。

対して、韓国のような(日本もそうだが)「社会の上の者に無条件で従え」という儒教精神は中国人は嫌う。

中国人の「義」と「打抱不平」の思想の心理学(1)
https://t.co/nO4Bo3v

「後進国の先進性」という言葉がある。後進国ほど、国が規制緩和したり減税したり、金融政策・財政政策して柔軟に企業を支援する。
対して先進国ほど、国(公務員)と企業(サラリーマン)が固く結びつきすぎて既得権益も出来て離れなくなる。そして増税と警察国家化で経済が回らず落ちてく。今の日本。

アイビーリーグには工学系はない

アイビーリーグも工学系はない。工学系などの技術系(奴隷の学問)がないのが、リベラル・アーツ(自由人の学問)をやっている証拠。

こう考えると日本の東大は総合大学ですがリベラル・アーツではないです。

理系・文系という分け方は間違っている!(1) ~神学 vs 学問~
https://rextuseferu.seesaa.net/article/142022140.html


「経済学」は奴隷の学問か?金融工学とは?

経済学は「神の見えざる手」に代表されるように数学が基礎ですが、奴隷を動かすための金融工学です。

現在の近代学問(自然科学・社会科学)では社会科学に属します。

実際にアメリカの大学の経済学者で

工学は元々は奴隷学問でした。
その差別の名残りは今のアイビーリーグと工科大学にも見られます。
哲学に取り込まれることで近代に学問(自然科学・社会科学)として成立しました。

この枠組はリベラル・アーツの礎がありますが日本は独自に分けています日本にリベラル・アーツが必要なのは、
単に世界的に異なったことをやって差別されてるからという理由だけではなく実験的再現性ばかりで、数学的な論理性から遠ざかっているからです。

神学(数学)の完全性を教育の上で学ばないと、法学や医学や哲学の話が乖離してしまうのです。

教育学は工学と同じく哲学に含まれる系譜です。
もちろん近代学問における意味での自然科学や社会科学で用いられる工学と同系です。