山上徹也容疑者の全ツイートを計量分析して見えた、その孤独な政治的世界 https://gendai.media/articles/-/98547 リベラル派への反発から、結果的にかえって「ネトウヨ堕ち」し、嫌韓、歴史修正主義、排外主義へと傾斜

テキストの計量分析で、とても整合的に人物像を解釈されています。

典型的なネトウヨで自己矛盾に苦しんでいた様子がわかりますね。


本来の分類

ネトウヨが妄想しているように政治対立は、右派と左派の二項対立ではないです。
また世界価値基準では、当たり前ですが中国と韓国に対する態度は何一つ関係がないです。

アノミーになっていくネトウヨ

安倍晋三銃撃事件以前にネトウヨをしていた人は、その思想が統一協会によるものだと気づいて心理的にアノミー(無秩序)になっています。

これが1年前の山上徹也容疑者の心理そのものなのでとても危険を感じています。

中でも、
・統一協会は関係ない、問題ない ←反社会的勢力が問題ないと擁護するのは本人が反社を疑われる危険
・信仰の自由じゃないか ←それは個人の話で宗教が政治に関わるのは違憲。
・他にも宗教団体はあるじゃないか ←反社会的勢力で公安監視されている宗教はない
・旧統一教会が問題で、それ以降の統一協会は問題ない ←2000年代以降の名称変更以降も問題ある有罪裁判の件数が多すぎる

で、どの彼らの詭弁をとっても勝ち筋のないほどジリ貧なのです。

そもそもなぜそこまでして韓国のカルト教団を擁護することが「日本の愛国」としたいのか謎です。

さすがに反社会的勢力の批判に対して、地震と災害と同じように「二次災害になるからやめよう」「布教活動になるからやめよう」と擁護するのは、
言ってるその人が反社会的勢力と関係あるから隠すために擁護していると見なされてもおかしくないです。


フェミニズムは批判するのに統一協会は批判しない不思議な人達がいる

「フェミへの過剰規制への批判」は話題にしたがるのに
「統一協会への批判」になると「話題にすると布教につながるから、みんなやめよう」と、反社会的勢力の味方する人の不思議な行動。

同じ理屈ならフェミ批判も布教になってしまうはずでは。
というか反社を隠そうとする方が関与を疑われて危ない。

「曝露」と「個人批判」の違い

「曝露」と「個人批判」の違い。
アメリカのヒューイ・ロング議員も政治暴露による批判によるポピュリズムであって、
芸能人個人を叩いて承認欲求を得ようとか思慮の浅いものではないのです。

よく「政治を批判するな」と批判する人こそ、根本的に混同して勘違いしてるのがここ。

リベラル・アーツ、理系ほど左派の牙城

ハーバードや世界最高学附が「リベラル・アーツ」なのは、そもそも学問の自由で「リベラル」なのが当たり前。

当然ながら理系ほど左派の牙城なります。

なのに学識で知性ぶって、その見下しの権威主義を既存の保守権力に依存して投影してしまうと、どんどん自己矛盾が生じてしまうのです。

学問・政治思想構図

・保守(過去のやり方から消去法する)
・リベラル(新しいやり方でアップデート更新上書きする)

増税と規制の警察国家と、科学学問のリベラルアーツ。
歴史的な背景を感じ取れますね。