近代以前は、数学(神)を国(僧侶や貴族)が語って増税で支配していたが、
近代以降は、数学(神)を人の手に戻して「憲法」という矛盾なき論理(数学論理)で国家権力を縛ることで、
人は理科(自然科学・社会科学の学問)をやる自由を得ている。

理数系と一緒にしたり、増税するのは人間の退化。

理科と数学の真逆思考

数学の「最初から答えが決まっている」(誰が決めた?宇宙誕生の時に。神が。)を存在証明するため演繹法するのと、
理科の「仮説、実験、結果、考察、仮説」と、人間が論文で更新できるように仮説で接着していく帰納法するのは、ベクトルが上からと下からで真逆。

一緒にしてしまうから矛盾が起こる。


なぜ数学は発達障害・自閉症スペクトラム障害と相性がいいか?

臨床で看て、こと発達障害、自閉症はどうしても「先行入力の視覚野」に固着する。

この「最初から決まっている」思考が、数学や電車の時刻表などの法則性(法、ラー、神のこと)に神話性を感じてハマる。

これが理科の思考との矛盾を起こし、精神病の特徴の(矛盾した)「二分法思考」に至りやすい。

発達障害と精神病が繋がりやすいのは「局所解の罠」と「二分法思考」

発達障害が「局所解な罠」にハマるのは、
いわば限られた範囲でしか成り立たない定義(語源は定限という)の中で答えを、
宇宙全土(数学宇宙全体)まで拡張させようとしてしまうので、
会話で、あれ?おかしいな?の矛盾と違和感が生まれる。

「合っているから、国が正しい」は絶対間違い

同時にアスペルガー的な思考だと、
近代以降のように憲法理解も数学ベクトルが上(国家権力)の束縛へ向いてないので、
中世以前のように「合っている」「だから国が正しい」と下ベクトルのみのトップダウンの演繹してしまう。


ボトムアップがない。大きな心理矛盾が起こる。

アスペルガーの苦しみ「局所解の罠」

ASDの苦しみは「局所解の罠」で

殺人事件が起これば→包丁は尖ってる
放火事件が起これば→酸化反応が起こる
窃盗が起これば→防犯ベルは売ってる
災害が起これば→私は大丈夫なのに

「だから合ってる、当たり前だ」
←?

前後・因果関係なく本末転倒な局所定義に入るから。
 
同じ文脈で
地震の対応遅れが問題なのに「対応は国会で決まったこと、だから合ってる。遅れは関係ない」とか
ブルーインパルス飛ばしは官僚役員への税金プレゼントが問題なのに「ブルーインパルスとは!(以下カタログスペック早口)…だから合ってる」とコミュニティノートに支離滅裂が追記される。

ワクチンを打った打たないの身近でド直球に憲法違反な人権侵害に繋がる話題に比べたら、
政治の話は、どれだけあがいても、どんな金持ちでも、どんな貧乏人でも、選挙時には平等な一票に民主主義的に帰結する。
平時では鬱陶しくても影響力が低いので気楽ではある(一票の格差問題はあるが)

近代以降、近代憲法で国家権力を縛る仕組みを考えた人、天才的すぎる。
領土を数値にしたように、金現物をお札にしたように、褒美を茶器にしたように。
絶対的「所有権の抽象化」をすると、上の監視コストが減って、民に流動化して、均衡化する。これを中世以前に戻すなと。