ある美術展を見に行って劇場版クレヨンしんちゃん「雲黒斎の野望」(1995)を思い出しました。

この映画は悪役のラスボスに「ヒエール・ジョコマン」という人物が出てきます。

私はこのキャラクターが大好きなのですが、インターネットで検索してもこの元ネタや由来について触れた記事がなかったのでまとめます。

映画劇場版のクレヨンしんちゃんは最新アニメーション技術の実験場となっており、
あのガンダムシリーズの原作者であり、毒舌批評家である富野由悠季監督でも「クレヨンしんちゃんには勝てない」と言わしめたほど優れた出来の作品は多いです。
中でも「ヘンダーランド」や「大人帝国の逆襲」は日本のアニメーションの大成と言っていいほど優れた出来です。

今回は「雲黒斎の野望」を語ります。

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この「雲谷斎の野望」ではラストシーンでヒエール・ジョコマンの操縦する巨大ロボとの戦闘が高く評価されています。
当時(1995年)の最新数学のコンピューター物理演算で計算して手書きで作画されているので、現在では再現不可能とも言われているからです。

このヒエール・ジョコマンとは何者だったのか?

その元ネタと由来をまとめます。


ヒエール・ジョコマンとは?

映画クレヨンしんちゃん雲黒斎の野望より

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ヒエール・ジョコマンとは、劇場版クレヨンしんちゃん「雲黒斎の野望」(1995)に登場した雲黒斎の正体です。本編のラスボス。

30世紀の未来人です。

声優は富山敬氏。(1995年没。声優業界では伝説的な超大物。)

まだ携帯電話も出ていない1995年の映画ながら、ヒエール・ジョコマンはiPad型の名刺を持っていて自己紹介します。

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飄々として掴みどころのない性格で悪者なのかどうかすら分かりません。

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本人は「歴史トレンドクリエーター&文化人 世界四次元アートディレクター協会会員」という肩書きを名乗っています。

しかし「邪魔する君たちころしちゃう!」と自分に逆らう者に対して殺人することを肯定的に捉えています。

ヒエール・ジョコマンの元ネタ

ヒエール・ジョコマンには2つの人物の名前が混ざっています。

ヒエールはピエール・マティス。
ジャコマンはアルベルト・ジャコメッティ。
この2つを合わせて文字ったものです。

原型はジャコメッティで、着色はマティスというデザインです。

正式には「ピエール・ジャコメッティ(Pierre Giacometti)」というフランス人名を、ドイツ人名にしています。

なぜこの2人だと断言できるのか?


現代芸術家アンリ・マティス(兄)とピエール・マティス(弟)

ピエール・マティスの兄にアンリ・マティスという現代芸術家がいます。

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ヒエール・ジョコマンの緑と赤の配色はアンリ・マティスのデザインが元ネタです。


アンリ・マティス「緑の筋のあるマティス夫人」(1905年)

アンリ・マティス(1869年12月31日-1954年11月3日)はフランスの画家です。
単色で大胆な色使いで感情を色で表現するフォーヴィスム(野獣派)の発案者です。

その次男ピエール・マティスは、ニューヨークで画廊を開き、ジャコメッティを始めとしたシュルレアリスム(シュール:超現実)な作品を紹介していきました。

言わばジャコメッティにお金を出していたパトロンが、ピエール・マティスです。

現代芸術家アルベルト・ジャコメッティ

もうひとりはそのピエール・マティスと親交の深かった現代芸術家アルベルト・ジャコメッティです。

どちらかといえばヒエール・ジョコマンの中心的な元ネタはこのジャコメッティです。

20世紀最大の彫刻家という評価とは逆に彼の生涯は目立たぬものであり、20代からパリのモンパルナスの小さなアトリエで40年間ずっと制作を続けてそのまま死にました。

ジャコメッティはフランス系スイス人ですが、生まれた故郷はドイツ語圏も混在しています。
なのでジョコマンという名前は、ドイツ系である~マンと接辞につけてジョコマンとドイツ語発音にされています。


なぜ手足が伸びていたのか?

ヒエール・ジョコマンは手足が極端に長いデザインになっています。

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これはジャコメッティの彫刻そのものが手足が長いからです。


歩く男Ⅰ(1960年)ジャコメッティ

ジャコメッティは、パリではピカソ、エルンスト、ミロ等の画家、シュルレアリスムの元祖であるアンドレ・ブルトン。
哲学者のポール・サルトル、ポール・エリュアールらの文人とも交友がありました。

特に実存主義哲学者サルトルには
「無と存在の中間」
「ジャコメッティの彫刻は、ナチスの強制収容所でやせ衰えた殉教者たちのようだが、立派なスレンダー造形は天国へ連結する表現である。私たちは宗教的なものに遭遇した。」
と評価されています。

実存主義とは?

実存主義とは、簡単に言うと徹底的に「人間が中心である」という哲学思想です。

ex-istentialism(続けて外に立つ:存在の外に立つ)という意味。

哲学者サルトルの有名な言葉に「実存は本質に先立つ」という言葉があります。

そもそも欧米のキリスト教の世界観では、神様が必然的にこの世のすべてを決めているという「予定説」があります。

そのため人間には神様の創造した本質(魂)があって意味があるという宗教思想が根本にあります。

この考えと全く逆で否定する思想が実存主義です。

人間存在こそが本質(魂)より先。神様なんか知るか。

無神論の概念の一つであります。

客観的であり、科学的であり、唯物論的であり、共産主義的な思想とも繋がっています。

日本でいうと禅の思想が近い方向性にはあります。

ジャコメッティの場合、当初はシュルレアリスム(シュール:超現実)の「構造主義」でしたが、そこから自らの存在こそに重点を置く「実存主義」へと思想の抽象度が上がっています。

過去記事
シュルレアリスム=疎外=フェティシズム=社会的事実=神の予定調和=構造=無意識=偶然=自動=不確定性原理=不完全性定理=仏教の空

ヒエール・ジョコマンの30世紀においては、神様が支配する資本主義の時代は終わり、長ったるい名刺で自分の肩書きを定義しなければいけないほど個人主義の時代になってしまっているのです。


「だなぁ」という終助詞の口癖

「すっかり有名人なんだなぁ、歴史に名前が残りそうだなぁ……」

ヒエール・ジョコマンの終助詞は「だなぁ」で終わります。

日本では語尾に「だなぁ」つけると「相田みつを」っぽくなると言われます。

願望でもなく、命令形でもなく、疑問詞でもなく、断定でもなく、

「だなぁ」という終助詞は、個人を主体として感動・詠嘆の終助詞にすることで自分を現実に止めておくことが出来るのです。

ヒエール・ジョコマンは実存主義者ゆえに、言葉遣いまで個人主体になっています。

ゆえに外から見ると自己中心とも捉えられるのです。

なぜ黒こげになって死亡したのか?

ヒエール・ジョコマンは最後は野原一家に砲撃を撃ち込まれて、悲惨にも全身が穴だらけになって死亡します。

野原一家は殺人歴がある!と言われてしまうのはこれが理由です。

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ただこの最期にも元ネタがあります。


アルベルト・ジャコメッティ「指差す男」(1947年)

ヒエール・ジョコマンは最後は「指差す人」そのものになってやられます。

作画では見切れていますが、右手は指差しているはずです。

「指差す男」はどこの何を指しているかは語られません。ただ何かを指しているのです。

「指差す男」は過去の世界の美術品オークション至上、最高値のピカソ「アルジェの女たち バージョン0」に次いで2位の1億4128万5000ドル(210億円)という最高額の美術品です。

ジャコメッティの彫刻作品は「人間を限りなく細くさせて、肉抜きする」という特性があります。

なのでヒエール・ジョコマン自身も同じように肉抜きされる必要があったのです。

また黒こげになることで、自身が作品そのものになったという風刺を意味しています。


まとめ

いかがだったでしょうか。

クレヨンしんちゃん雲黒斎の野望のヒエール・ジョコマン。

ジャコメッティは創作活動だけに打ち込んだ人生でしたが、半生は実存主義に生きていたので、もっと自由奔放に楽しみながら生きたかったのかもしれません。

そんなキャラクターの投影がヒエール・ジョコマンとして出てきていたのです。

よく練られたキャラクターなので深堀りすることができます。

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