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リバータリアン的な家族と学校とはどういうものでしょうか。

端的にいうと、「全てが私立学校になること」ことです。

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家族という共同体
「家族は私たちが世界の中や道徳的諸価値を理解する際にほとんどのことをそこで学習する制度である」

リバタリアンは親が自分たちの子供に対する教育の権限を持つことを当然視する

親は子供にふさわしい学校を選べる
いや、そもそも学校教育は親や子供にとって義務ではない
代わりに自宅で親自身や家庭教師が子供を教育することも自由である
日本では教育権に関する論争で「国家の教育権」と「国民の教育権」(現場の教師の教育権)の二つが対立したが、そこでは無視されがちだった親こそが教育の権限を持つと考えられる

多様な私立学校の併存が理想とされる
公立学校は親の信念を無視して国家主義や集団主義や多数派の思想を子供に押し付ける場だとみなされがちである
また公立学校が誰もが入れるように平等主義傾向が強く、結果として要求される学力の水準は落ちこぼれを出さないために低下する
さらに義務教育としての学校教育は子供の人身の自由や結社の自由にも反する

リバタリアンの中には学校教育に代えて家庭教育を推奨する人も多い
塾の価値も正当に評価されるべきである
教科書認定制度も認められない

ちなみに社会主義的共同体主義者であるマイクル・ウォルツァーはその反対に「正義の領分」の中で「公共的制度の隅」にしか私立学校の存在の余地を与えようとしない
そして教師と生徒からなる「囲い込まれた教育的共同体」という性質が強い日本の公立学校を称賛する
これはこれで首尾一貫している

森村進 著「自由はどこまで可能か?リバタリアニズム入門」

デイヴィッド・ボウツ「リバータリアニズム入門」


すべて私立学校になったほうがいい

つまり、リバタリアンの立場では「全てが私立学校になること」を理想とします。

「そんなことしたら学費が高すぎて誰も学校に通えなくなるではないか!?」と思うかも知れませんが、

”私立学校が高額なのは、公立学校があるから”なのです。

逆に言えば、公立がなければ、私立だけで価格競争が起こるので、学費は今よりも安くなります。

「いじめ」も公立の方が私立より多くなり、ひどくなるという統計データもあります。
なぜかというと「教員や友人の関係が固定されているから」「変化が少ないから」です。

また今の学校教育は、
右翼的な人から見ると、国家主義を悪とし、日教組のように平等思想を教育しようとする傾向が強く見えます。
左翼的な人から見ると、成績で競争原理主義を煽って勝ち負け優劣を付けて良くないという傾向に見えます。

両方とも正解だと思います。

なぜかというと学校によって教育に違いがあるからです。

ひどいのは、選んだわけでもないのにその土地に生まれてしまったせいで、その教育を「義務教育」として受けなくてはいけないとする風潮が強すぎることです。

これを国家レベルでやっているので、これこそ「国家主義的」(右翼も左翼も嫌う独裁ファシズム)であり、本来なら本末転倒なのです。

もっと転校できるように流動化する必要があります。

それなら「全てが私立学校」になればいいのです。

要するに「私塾」が増えることと同じです。

学校ごとに教えることを自由にする

よって、リバタリアンは、学校では国家主義や集団主義や多数派の思想や平等思想を教育することを全て「個人の自由」にします。

あの学校では国家主義的、
あの学校では平等主義的
・・と、それで良いのです。退学して他の学校に移ることも自由です。

そもそも通うか通わないこと自体も自由です。

今のように学校へ行かなかったら社会不適合者みたいに言われる風潮がオカシイのです。

それで人の集まらない人気のない学校は倒産してしまえばいいのです。

これがリバタリアン的な発想です。