世界中の歴史や小説やドラマの作品を見ても、他人をいじめたり、馬鹿にしたりする人は最後に痛い目を見て終わります。
「自業自得」「因果応報」という言葉でも語られます。
しかし必ずしも「痛い目」を見るとは限りません。
さてどういう人が「確実に痛い目」を見るのでしょうか?
結論から書くと「弱者を見下して攻撃する人」です。
弱者を攻撃する人は確実に痛い目をみる
悪い意味での「因果応報」と「自業自得」は全く同じ意味です。
痛い目を見るとは、つまり「悪い結果が返ってくる」。
具体的には「損をする」ということです。
確実にこれが起こるとパターンとして言えるのは「弱者への差別」です。
・見分ける最も簡単な方法は、「弱者を思いやれるかどうか?」です。
・弱者とは、子ども、病人、障がい者(身体・精神)、貧困者、高齢者、動物、植物などのことを指します。
・クズな人だと共感より先にそれが「良い」か「悪い」かという「二分法思考」が出てきます。
・弱者=悪→制裁を!と「他人に制裁を加えようとする」という発想しかできないのです。
・自己中心性から脱却して「他人を考えられる能力が発達しているかどうか」ということです。
と過去記事
クズな男やクズな女の見分け方
で書きました。
別に彼・彼女らが一人で損をしてくれれば良いのですが、「他人を巻き込む」ので迷惑なのです。
なぜこうなるのか、そして巻き込まれない方法を書きます。
自分から小集団に閉じていく
弱い者を攻撃する人は、遅かれ早かれ自分から閉じこもっていきます。
なぜなら人間集団は「信頼」と「安心」で成立しているので「攻撃的な人」は最終的に排除されます。
この仕組みは過去記事の「ゲーム理論の自然淘汰」で説明しました。
ゲーム理論で人間関係を無双する方法~自然淘汰を逆利用しよう~
そうでなくても弱者を攻撃する人は、根本は不安からの被害妄想が強いので「お前も敵だ!お前も敵だ!」と元々が人間不信です。
「情報の非対称性」とは?
まず「情報の非対称性」が起こります。
「情報の非対称性」とは、「相手が情報を持っているのに、自分には情報が手に入らない。」という状態です。
アメリカの理論経済学者ケネス・アローが1963年に指摘した現象です。
例えば、病院で、医療者側は薬を出しますが、患者は何の薬か分からないことが多くあります。
今は処方箋に説明書がついてきたり、薬剤師から事前に説明(インフォームド・コンセント)があるので分からないことは少ないですが、昔は多くありました。
なので病院側の都合の良いように値段の高い薬を出すことができます。病院は儲かりますが、患者は騙されているので損をします。
有益な情報が手に入らなくなる
病院は「情報非対称性」は改善されていますが、一般的な市場では身近にたくさんあります。
高齢者が高い携帯電話の契約に入れられていたり、根拠のない高いサプリメントや詐欺商品・・
相手は情報を持っていながら、相手に損させて騙そうとする。
これが起こるとパレート効率的な結果(集団内の誰かを犠牲にしなくても全員が満足できる)が実現できなくなります。
片方が騙されて損させられているので健全な市場とは言えないのです。
もし「信頼」「安心」できる人が周りにいれば「それは騙されているよ」と教えてくれます。
しかし弱者を攻撃する人はそうやって教えてくれる人がいません。
「いやいや今はネットの時代だから調べれば良いじゃん」と思うかもしれませんが、前述の通り、「人間不信」なのでどの情報も信じません。
「自分発祥の情報こそ、全人類が知るべき唯一の情報」と考えて他の意見を排除します。
「騙す側」からすれば、このように直情的に感情で動く人は「理性がない」ので「騙しやすい」です。
だから騙されます。
無人島で自分以外が消えるまで共食いをする
例えるなら、自分から離れ小島の無人島へ、他人のことを一緒に悪く言ってくれる仲間と一緒にひきこもります。
そこで幸せに暮らせればいいですが、元々被害妄想が強いので、次は仲間同士で「お前はスパイだな!裏切り者だな!?」と「共食い」をし始めるのです。
いつまで続くかと言うと「自分以外が消えるまで」です。
本来なら、食料を分け合って協調して助け合えば長生きして生還できたかもしれないのに、その場で殺し合ってしまうのです。
SNSでいうと、単にフォローを外せばいいのに、「~信者!」とレッテル貼りしながらブロックして回るような排他的な行動をします。
「見ないようにする」「黙ってやる」のではなく、「我こそは正しい!」と自己主張しながら「潰して回る」という攻撃的な行動をするからです。
自己愛性人格障害や境界性人格障害の典型的な行動であることは過去記事でも書きました。
過去記事
なぜSNSアカウントやメールアドレスをコロコロ変える人は危険なのか?
必ず予測を外す
他人を攻撃して「情報の非対称性」が起こると、次に起こるのは「予測を外す」ということです。
「予測」「予想」は人間の前頭葉で機能する最もヒトの進化として新しい脳機能です。
サルとヒトとの脳の違いとも言えます。
「先のことを考える」というのができなくなります。
それは情報非対称性で情報が極端に少なくなるからです。
人間の情報のおいて最も有益な情報は「未来の情報」です。
どんな大金持ちでも未来の不安を消すことは出来ません。
過去のことは克服したり忘れられても、未来のことは誰もわからないからです。
だからお金持ちや経営者でも「占い」に頼ったり、経済アナリストやコンサルタントに「予測」「予想」を依頼します。
このヒトがヒトたる根本の「未来予想」という能力は「弱者を攻撃すること」で奪われます。
根拠のないところに感情で虚勢を張るので、「大ハズレ」を起こします。
「自己責任」と他人のせいにして現実逃避をする
例えるなら、
無人島で限られた仲間の中で、限られた食料を食べてしまいます。
感情のほうが先立つので「腹減った!食べる!食べれない奴らは自己責任だ!」と言います。
なのに「みんなオレについてこい!」と言うのです。
どうなるかというと、仲間からの信頼度は下がり、食料は分け与えられなくなります。
「予測を外すだけでなく損までする。」のです。
投資であれば二度と投資されません。
過去記事
そして誰も近づかなくなった~神経症・人格障害・精神病への末路~
なぜ自己愛は散々他人を否定するのに負けると「私は興味ない」「どうでもいい」と言い出すのか?
本物の自己責任とは?
「本物の経営者」「本物のトップリーダー」のする「本物の自己責任」をみていると、
例えば、社員が病気で休んだら、社員に対して「自己責任だ」なんて言いません。
社長である自分の責任で社員が病気にかかって休んでしまった。「私の自己責任だ」と言います。
天気で雨が降ってさえも、「雨が降って遅刻したのは社員の自己責任だ」なんて言いません。
「雨が降ってしまったのは私の自己責任だ」とまで言います。
それくらい徹底した個人の責任意識を持つのが本物のリーダーです。
自分に対してさえ守れない言葉を、他人に使う時点でいかに甘えているかと考えます。
まとめ
このように「弱者を攻撃する人は必ず痛い目を見ます。」
それは情報非対称性により信頼と安心を亡くし、予測を外して大損するという一連のパターンがあるからです。
そこで自己責任だと他人のせいにして逃げていくので、更に人が減って悪循環のドツボにはまります。
これは自然に起こります。
例えばこの記事をみても「自分は特別だから関係ない」と考えて読むことも出来ないでしょう。
その奢(おご)りが必然的な大失敗に結びついていくのです。
巻き込まれない方法
この流れと「逆のこと」をすれば、救われます。
弱者をどうやったら救えるか?
と考えて、自分も他人も救われるような未来像を想像します。
そうやって支援者を集めていけば、自然と良い情報が周りにあふれ、予測も外しません。
「巻き込まれない」とは、つまり自分自身が「逆のこと」をしているので結果的に巻き込まれないのです。