介護疲れの本質とは何か?

単に身体的に疲れることではありません。

経済的、精神的に疲れることが最たる原因です。

うんちは汚いからだめなんだ!
捨てて野垂れ死ねばいいんだ!
なった人の自己責任だ!
と「やったことない人」は脳天気でトンチンカンなことを言います。

基本的に彼・彼女らの言うことは無視しましょう。
足し算を習ってない子どもが足し算をできないように、無知で知らないだけです。

さて本質的な「介護疲れ」とはどこにあるのでしょうか?

私自身が20代で、要介護5の祖母と要介護3の難病の父の2人を介護した経験から書きます。


介護とは寝たきりとは限らない

IADLとADLという言葉を知っておきましょう。

要支援・要介護状態もこれらが阻害されるところから始まります。

●ADL(Activities of Daily Living)とは「日常生活動作」です。
生活するために必要な動作。
食事、排泄、入浴、整容、衣服の着脱、移動、起居動作です。

●IADL (Instrumental Activities of Daily Living)とは「手段的日常生活動作」です。
ADLより高度な動作です。
買物、洗濯、掃除などの家事全般、金銭管理、服薬管理、交通機関の利用、電話の応対などです。

認知症や難病などの身体障害にしても精神障害にしても知的障害にしても、IADLができなくなって、ADLができなくなります。

俗に「介護疲れ」でイメージされる「寝たきり」は「要介護4~5」という状態です。

この状態になると在宅の家で介護することは限界(医療行為が必要)になるので、病院や老人保健施設や老人福祉施設などに入ることが一般的な選択肢になります。

逆を言えば、施設にあずけるより前の段階が在宅で介護することになるので一番「介護疲れ」します。

操作をされる

「介護される人」は最初は申し訳無さそうに介護をされるのですが、慣れてくると日に日に「図々しく」なっていきます。

「他人がやってくれるなら」と自分でできることまで他人を呼び出します。

この「心理的コントロール」がとてもストレスになります。

基本的にはこの「操作的な行動」が「介護疲れ」の根本です。


人のせいにする

頼んでおいて文句をつけたり、お金を渡して「お前がカネを欲しがるから頼んでやってるんだ」とか「お前がやりたいと言っているから」と大ウソをついて「人のせい」にします。

買い物を頼むにしても「お前が買い物へ行きたいと言ってる」「近所の〇〇さんが買ってきてと言っていた」と自分の欲求なのに、言ってもいないことを介護者側に言います。

自分が身体的にできないから「他人が言っている」という「人のせい」にするので余計に話がこじれます。

どうしても人は自尊心が残るので、自分が身体的にできないということを認めたくないのです。

家具に憑依する

やることがなくて暇なので食事の時間や風呂の時間に決まりを設けて、
「はい!6時!〇〇は風呂入る!ピッ!」と仕切りたがります。

仕事から帰宅して家でもチャチなルールを作って守らせようとするのが見苦しいです。

他人を操作するために、「風呂」や「冷蔵庫」や「キッチン」や「ドア」「電気」「電話」など家の動かしにくい家具に自分を憑依させてコントロールしようとします。

特に家電が壊れたり、電気の電球が切れるたびに「ほら!不幸が起こった!親戚中を呼び集めないと!」と大騒ぎします。

これに対しては電気系はLEDにして何年も電気が切れないように。
電話は電話線を切り、携帯電話一本のみに統一しました。


不幸の花火を打ち上げたがる

「オレオレ詐欺に引っかかる高齢者」というので健常な人だと「なんで?」と思うかもしれませんが、とても気持ちが分かります。

死ぬ気で「不幸な話」をかき集めているのです。

テレビのワイドショーを見ながら「うわぁもう終わりだ・・」と言いながら、世界中の「不幸な話」を死ぬ気で集めます。

なぜかというと「他人の不幸を見れば、自分の身体的な不幸がマシに思える」と勘違いしているからです。

なので「迷惑電話に出る」「近所中に不幸になったという電話を掛ける」という迷惑行為をします。

「おそろしい知らせがあった・・・」「もう終わりだ・・」と自分から不幸へとヘッドスライディングしていきます。

「不幸の錬金術師」と「不幸のビーチフラッガー」

特に電話の場合は、セールス電話の場合は、相手方は繋がっていくら、1分でいくらと価格帯があり、個人情報リストを収集するのが目的なので、見事に引っかかるのです。

のぞき・監視・監査をされる

介護者へののぞき・監視・監査が増えます。

「あなたが心配だから」を理由に監視・監査をしていきます。

深夜問わずしきりにドアをノックしてきたり、風呂場をいきなり開けたり、窓の外から必死にのぞき込んだり、車庫の自動車をチェックしたり、車のキーや靴の残りの数をチェックしたりします。

「のぞき」の行為が増えます。

何か変化があろうものなら「不幸があったね!」「どういうことなの!黙っていて!」と死ぬ気で不幸の話にしようとします。

買い物へ外出することさえも監視されているようで身動きが取りにくくなります。


寝たきりになってから離れられなくなる

そんなに嫌なら放っておいて逃げ出せば良いじゃん、と他人目線だと思えるのですが、中々それができないのです。

なぜなら行動が操作的で「罪悪感」を植え付けられるからです。

これが貧困家庭で経済的な事情もあればなおさらです。経済的にも離れられなくなります。

「介護を見捨てるなんて親不孝者!」という罪悪感を利用してきます。

「年金がなくなったら生活が苦しくなる」という恐れもあります。

寂しいから離れられない

こんなことを繰り返すうちに介護者は、介護することが自分のアイデンティティの一部のようになります。

介護者は、「世間的に素晴らしい、苦労人だ」という同情を求めるようにまで心が弱ってしまいます。


役場の福祉課へ

在宅でふさぎ込んで介護に疲れている人は多いです。

私がそうでした。

病気でADLやIADLができなくなったら、早い段階で役場の福祉課へ行くことをおすすめします。

そこで地域包括支援センターや居宅介護支援事業のケアマネジャーを通じて、情報や介護保険サービス、行政サービス提供を受けていきましょう。税金を払っているなら当然の権利です。

例えば、障害者手帳に認定してもらえば、公的サービスの負担が軽くなります。

障害者年金制度を利用すれば月々にお金がもらえます。経済的な負担軽減にもなります。

在宅介護から施設介護へのある程度のシナリオが予測できるようになれば「未来への不安」は軽減されるので気が楽になります。