高校の日本史でも背景的な説明でサラッと飛ばされてしまうのですが、かつて仏教では

南都六宗 vs 天台宗/真言宗

の対立がありました。

南都六宗とは、「南都」は平安京、つまり京都の南(奈良の北)です。
三論 (さんろん)、 成実 (じょうじつ)、 法相 (ほっそう)、 倶舎 (くしゃ)、 華厳 (けごん)、 律 (りつ)の6つからインドの仏教哲学の高級教育をしていました。

この前代の南都六宗に対立したのが、天台宗や真言宗の二宗です。
桓武天皇の意志で最澄が天台宗を持ち帰って広めました。
古代国家の貴族階級の仏教だったので、下層庶民を対象としませんでした。
貴族中心の鎮護国家を祈祷する役割だったからです。

天台宗では当時最新の中国の仏教理論を集約し、真言宗ではその真髄である密教という呪術的なものを重視しました。

都会を避け、人里離れた山林に必ず建てられました。

修行のための山岳信仰と結びついて山岳仏教の密教をやる中で庶民への信仰へ根づいていったのです。