他人を貶めて笑顔で誹謗中傷を繰り返し、血眼になって悪意をあら探しして、親の敵のように憎しみ倒す。
これは悪しき行い、人権侵害、脅迫罪という犯罪です。
しかし犯罪を「私は一生懸命仕事してます。苦労してます。全て周りが悪いのです。」と言い換える人達がいます。
そしてその言葉で騙されて、その悪しき行いを「そうだね、つらかったんだね。」と必死に擁護する人達がいます。
職場の人達を見ていて「楽な仕事で良いな…。」と半ば呆れて感じることがあります。
これが教育現場や病院現場で働く人だったとすると落胆です。
まず教育や医療語る以前に、言ってる本人が人間として未発達で幼稚すぎるのです。
自分は被害者を装って他人を貶める
どうやったらあそこまでねじ曲がったクズな性格が出来上がるのか。
と正直思うことも多々あります。
クズという安直な言葉を使いたくないのですが、彼・彼女らの本当の善人の足を引っ張ることに血眼になり、利用し、憎しみ倒す卑怯で非道な態度に、それ以外の言葉が思い浮かびません。
乳幼児期の基本的信頼が得られなかったことは察します。
幼い頃から親の愛情を得られず、自分が人間不信だから、他人にも人間不信になってしまうのです。
この背景を察すると同情します。
しかし有害なクズが、より有害に機能してしまうのが「年功序列」という無条件にクズを上に立ててしまう日本のシステムなのです。
なぜ真面目で大人しい子をみせしめにするのか?
児童相談所の被虐待児の一時保護所では、クラスがうるさいと、みせしめに「一番真面目で大人しい生徒」を全員の前で「お前が悪い」と殴り倒す教員がいました。
本来なら「うるさい生徒」を叱らなければなりません。
しかしうるさい生徒本人を注意するのではなく、「逆らわなさそうな生贄」を公開処刑することで「先生は強いんだぞ」と自分の権威をアピールしていたわけです。
反吐が出るほどクズだと感じました。
教員は「一番真面目で大人しい生徒」に対して何の恨みもありません。
「無償の憎(にく)しみ」なのです。
このような「無償の愛」ならぬ「無償の憎しみ」を他人に対して行うので「一番真面目で大人しい生徒」に「理不尽」として抑圧されるのです。
抑圧したものは必ず投影します。またやられた誰かに感染していきます。
元々家庭での先祖代々続く心理的遺伝なるもの。もはや理由のない悪霊。
そのケガレの浄霊を周囲に求めるようになるのです。
人が怒りやすいときとは?
人が怒るとき、あるいは怒りを持つときは自分の想定を超えていた時です。
なぜなら感情は理性と逆だから。非論理に近づくからです。
想定内であれば論理的な範囲で考えられます。予想していれば感情が沸き立つことはないのです。
逆を言えば、怒りやすい人は同時に想像力が足らない人なのです。