やにこ」の経験が病理的にどう関わっているのか気になっています。

やにこさとパーキンソン病の時間の連続性について


妄想から監視と監査と規制

人間は暇になると、周りの不幸を探そうと必死になります。

近隣住民を監視。妄想的な電話で統制と規制をしようとします。

「あっ!あの家は3:00過ぎても洗濯物が取り込んでない!あの洗濯物は燃えて火事になる!」
「あっ!あの家は夜の8:00に玄関の明かりが点いている!門限を守れない浮気が起こる!」

個人的な実体験として、家族が近隣住民に注意の電話かけてしまい、逆に不審がられるまでワンパターンだったので、妄想での過干渉の極みはとても気をつけています。

強迫性障害と貧乏症?

寝たきり障害者の父の「やにこ」は強迫性障害と貧乏症の合わさった何かだと思っています。

カニカマ一本を縦に割いて近所に配ったり、ボロ布をセロテープと糸でカーテンを作ったり、壊れたカギをストローとセロテープで作ったり、、

一人でやればいいけど、交代当番制でやれとタイムシート書いて他人を巻き込むので困るのです。

やにこの発想の小学生の工作。器質的に時間が更新されないパーキンソン病にある時間的な連続性に起因するのか、後天的に心理的な強迫性、貧乏症なのか。

相互に相性が良すぎるのだけど、どこから最初に発症したのかよく分からない。

近所のよく知らない幼児に、自分の古着をはさみで切って、ボロ布をセロテープで服の形にくっつけてプレゼントする。

相手もありがた迷惑だけど悪気がないので断れないのです。

やにこ人にとって、こういった「やにこ」行動は整合性はあるのかもしれないけど、周りから見れば単純に気色悪い怪奇行動になってしまうのです。


やにこは幼児退行か?

「やにこい」対応で、なぜ「落ちている木の小枝」「セロテープ」「のり」とかの小学生の工作道具を登場させて対処しようとするのかと思っていましたが、これはトラブルに対してIQ下がって過去のやり方から対処しようとした結果、幼児退行しているのではと感じます。

パソコンや炊飯器やレンジや冷蔵庫や自動車でも何が壊れても対処法が「落ちている木の枝」「セロテープ」「のり」…そこから故障を直せるほど文明を追いつかせるまでDr.ストーンもびっくりなほど時間がかかってしまう。

なので私なら「買い替える」という手段をすぐに選びます。

貧困妄想と強迫症が混ざった何かだとは説明ができるけど「やにこ」は「やにこ」がしっくりきてしまうのです。

強迫性の貧乏性と禅のミニマリズムの違い

やにこ生活と禅生活を比較すると、両方とも質素倹約でミニマリズムではあるが、やにこは単純な強迫貧乏症で、禅は最小限の効率化なので、ベクトルが全然違います。
同じ自然生活でも、原始的生活と自給自足生活を取り間違えるのに似ているのです。