自体愛(じたいあい)とは?
「自己愛(じこあい)」(self-love)(※1)という言葉なら、「あの人は自己中」「あの人は自己愛が強すぎる」「自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)」などで聞いたことがあるかもしれません。
実は他にも「自体愛」(autoerotism)、「対象愛」(object-love)という言葉があります。整理するために詳しく説明します。
(※1)narcissism(ナルシシズム)と言うと病理的な意味も含まれるので、ここでは肯定も否定も中立に「自尊心・自己愛」の意味の「self-love」を用います。
心理学では、愛の段階を自体愛→自己愛→対象愛へと3段階で進化していくと考えます。
まず「自体愛」とは、フロイト心理学の語られる、口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期の5つの時期を通しての自分の体を愛することです。
あくまで「概念的な話」なので簡易的にまとめます。
エス(動物的本能)からはリビドー(生の欲求)が発せられます。動物的本能は食欲・性欲・睡眠欲など。
これらは全て「満たされると気持ちいいもの」です。
※おさらい
自我とは?エス(イド)・超自我とは? ~「動物的本能」(エス)と「理性」(超自我)の綱引きバランス~
その根源をフロイトは性欲段階(リビドー発達段階)と言って、5つの時期で分けました。
年齢を通して発達し、どこかでうまくいかないと「固着」と言って、大人になっても残ります。
(※固着はやりすぎても、全くやらなさすぎても起こります。→ほどほどが一番いいということです)
【口唇期・肛門期(0~3歳:個人差あり)】
口唇期=母親のおっぱいを吸って唇(くちびる)を満たす時期
・前期
母親と一体の時期。まだエス(動物的本能)しかない。
→ここで母親が授乳しなかったり少なかったりすると子どもは将来、無気力さが出る。また、指を吸う、爪を噛む、夕バコ、ガム、アメ、お氵酉などで常に口を満たしていないと落ち着かなくなる。
・後期
母親の乳首を噛みだす。噛むという攻撃的なことも嫌われないか確かめる。口唇サディズム(口唇加虐性)と言う。
→この時期に母親が子どもを嫌うと、将来、攻撃的な自分は自分と認められなくなるので、内向的に自分を攻撃するか外交的に相手を攻撃して、大人になっても噛んでも嫌われない乳首を探す。
【肛門期(0~3歳:個人差あり)】
肛門期=排便をして快感を満たす時期
排便をして評価されることで自分を満たす時期。
→この時期に排便が良く評価されない、あるいは排便を察してもらえない、あるいはオムツやトイレを片付けてもらえないと、将来、とても抑圧的になる。何でも抑圧して我慢するのでコミュニケーションに支障が出たり、無口であったり、行動力や意欲が無くなる。また「綺麗にする」ということに無頓着で、不清潔・不衛生・不規則で汚い生活をするようになる。
【男根期(4~6歳)】
男の子は自分に性器があると気付き、女の子は自分に性器がないと気付く時期。
ここで母親の一体化から離れる。男の子は父親を殺して母親と結婚したがり、女の子は母親を殺して父親と結婚したがる時期(エディプスコンプレックス)。実際に殺すのは無理なので、男の子は父親と同一化、女の子は母親と同一化して願望を満たす。ここで「してはいけないことがある」と「超自我」が芽生える。
→この時期に自分の性別への否定を受けたり、強い去勢不安(男根を切り落とすという脅し)を受けたり、同じ性別の父母が厳格すぎたり、同一化に失敗するとそれが基盤となって性格形成される。同性愛や、暴力する親の元で育った子は暴力するなど、親の姿をそのまま鏡のように自分の基盤に取り込む。
【潜伏期(7~12歳)】
男根期のような性への興味が潜伏する時期。家族以外の人とも交流の中で、エス(動物的本能)と超自我(しつけ・ルール)を「自我」でバランスを取っていく時期。
→もちろん口唇期・男根期の性格の延長線上にある。今までの家族内だけでの関係が、どこまで通用するのか他人でも推し量って安定を取ろうとする。こちらは人格の基盤になりやすい。
【性器期(12歳~)】
性器期は他人を愛するためにセックス生殖ができる時期。
→男根期レベルの幼い段階にあるか、他人を愛して性器期(生殖)レベルの大人の段階か見分けられる
男根期と性器期は日本語では似ているが、英語ではphallicとgenitalで意味が違う。
ここでの「性器」は「生殖」としての要素。
男根はいじって気持ちいいとか、おしっこ飛ばし合いとか、他人より性器が大きい等々のシンボル的な要素としてフロイトは使い分けている。
例えば、「セックスで名女優とヤッた」とか「何十人斬り、何百人斬り」といって自分がいかにモテるか自慢していればフロイト的には男根的な状態で性器期レベルまでいってない。千人斬りといっても精神的には子どもだということ。
※「性器期」は「対象愛」か?
相手を「愛するがゆえのセックス」ではなく、自分が楽しむためや「相手を物扱いしてするセックス」なら対象愛レベルまでいってないし、性器期にもいってないとフロイトは言った。
ただ対象愛と性器期とは部分的には重なる。自己愛と自体愛の区別がどの辺にあるかは微妙。
自体愛までは、あくまで初期の、古典心理学の考え方なので、思い当たるフシがあったとしても「その可能性もあるかもね」くらいに考えておいてください。
参考