対象愛(たいしょうあい)とは?
「自体愛」(じたいあい)は、自分のことしか考えない幼少期の愛の発達段階、
「自己愛」(じこあい)は、青年期以降の自体愛にとらわれる「未熟な自己愛」と、他人のことも愛せる「成熟した自己愛」
と簡易的にまとめました。
「対象愛」とは、この「成熟した自己愛」以降のことです。
コフートはその対象愛を否定的に(他人のことだけしか愛する人間なんてありえない、必ず自分も愛する気持ちもあるはず)考えたため自己愛を2つに分けることで、自己愛の人でも成熟してれば「対象愛」があると言いました。
コフートの言葉を借りれば、
自分が愛されるためには、まず相手を愛す必要があります。
何もしてないのに愛されようとするのは未熟なのです。
最初は少し冷酷な言い方に聞こえるかもしれませんが、「他人を愛する」ということは、人によって大小の差があれど「自分も愛して欲しい」という打算があるためです。
これは悪いことではありません。なぜなら逆に言えば「自分を愛していなければ、他人も愛せない」ということだからです。
つまり「自分しか愛せない」という自己愛性人格障害とは逆に、「自分を愛していない」のも自体愛・自己愛の段階において「未熟」であって固着があるのです。
「他人のことしか愛せない人間」というのは、裏を返せば「自分のことは愛していない」ので、とても依存的で自滅的であり、「成熟した自己」とは言えないのです。
そのために、自体愛→自己愛→対象愛という3段階で見ることが、重要なのです。
参考にどうぞ(更に理解を深めたい方へ)