自閉症に観る世界の美しさ

公立の小中学生8.8%に発達障害の可能性 文科省調査 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20221213/k00/00m/040/018000c

・潜在化が浮き彫りした可能性
・愛着障害と誤診した可能性
・発達相応なのに親の育児失敗の責任転嫁の免罪符で、障害ということにしようと医師と利害一致した可能性

様々な憶測が考えられました。

自閉症の神との対話世界

自閉症の感じる世界との一体感、アスペルガーが数学や時刻表に感じる数の法則性の中で神との対話する恍惚感。

せっかく時間空間を超えた悟りの瞬間を満喫しているのに、親や先生が裁きの雷を加えてしまう。

没頭する美しさ

私が京都で禅寺修行していたときの作務。

この本質は動的な没頭と集中。歩行禅。
もういい加減ええやろと思うくらい何時間も毎日、掃除をし続けた。落ち葉もホコリも汚れもない。これ以上は無駄だと感じる。
綺麗になったかどうかの外的対象ではなく、その自分の心の動きの観察。

前操作期の前のありのまま見る美しさ

脱自己中心性する前、前操作期の自己は現象をありのまま見る美しさはありますが、そのまま大人になったらカミュの異邦人のようにアスペルガーなだけなので、脱中心化して対象愛へ自己を拡張していないと共感されないのです。

前操作段階 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%81%A4%E5%B1%B1%E5%95%8F%E9%A1%8C 自己中心的思考では、もっぱら自分の視点から世界を見ているため、「自己中心的な子どもは、他の人も自分とまったく同じように見たり、聞いたり、感じたりすると想定している」

視覚優先なので文章で表現しなくても良いと考えてしまう

昔の人は映像や肉眼でその情景を見ることができなかったので、文章で巧みに自然情景を表現した。

しかし今は文章で書かなくても情景は想像できる。
「だから俺の小説には自然描写は一切ない。俺の見たものだけ。だってみんな知ってるでしょ」とアスペルガーの友人が言ってまさに「三ツ山問題」だった。

形容詞のない世界

カミュを読んでいても、やはり形容詞がない。中川李枝子の絵本「いやいやえん」、トトロのエンディングテーマと同じ。乳幼児の頃の先行フィルターの認識が入る前の、あるがままの現実(瞬間生=レアレテ)。アスペルガー的と言えばそうだが、病理ではなくて、ベクトルとして悟りのプロセス。

だから宮崎駿の尊敬する児童文学の中川李枝子の「いやいやえん」→となりのトトロの「さんぽ」の歌詞までの系譜が神なのです。

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