パソコンが起動しなくなって、放心状態のごとく心が「無」となりました。
私は長年の直感で熱暴走だと察し、コードを全部抜いて冷ましました。
そして仏間にて15分の坐禅。
再起動したら直りました。
15分の間、私は再起動しなかったらどうしようかという不安に苛まれましたが、すべてを失った自分を想像できたので良い悟りのチャンスでした。
私は、かつて2TBに及ぶ10年分のデータをディープフォーマットして消し飛ばしたときもそうでした。
しばらく絶望を超えて放心状態となり、吐気と絶望でしばらく立てませんでした。
データ復元したときはイエス再誕のごとく天を仰ぎました。
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絶望すると「バリア」が外れる
本物の絶望すると人は普段の「バリア」が外れます。
心理的に危うい状態ではありますが、一方で日常のスコトマ(盲点)も外れるので気づかないことに気づきます。
なのでそんなときこそ瞑想することで自身の心の手綱を持ち直すことが大切です。
死の受容過程:否認→怒り→取引→抑うつ→受容
心の段階としては、医師キューブラーロスの死の受容過程のように否認→怒り→取引→抑うつ→受容と来きます。
私の場合、自責の念が強いので、絶望に対して取引しようとしてしまいました。
ひたすら神(仏教徒だが)に懺悔し、他人に謝罪しよう、奉仕しようと代償行動をします。
私が京都の寺で修行していたときもそうでしたが、すべてのスマホやパソコンや情報媒体すべてから離れてみると、自分は独り身で何もできないなと気付きます。
存在をつなぎとめておくものは、地位や名誉や財産でもなく、人との相互関係の縁しかないのです。
六根清浄で一日一善を大切に
般若心経の「無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界」の部分が大切です。
すべての五感も意識(六根)もなかったとして残るのは何か?ということです。
一度リセットして六根清浄でなければ自由意志を失い、八正道を歩めません。
悩んだときはベタではありますが「一日一善」が大切です。
些細なことでもいので他人を助けると、自分の心と時間の余裕が生まれます。
因果応報を回すバリアと縁ノード強化
元より悩みはP2Pシステムでいうノードの希薄化です。
パッサーが少ないことに起因します。自分から親切というボールを渡していくと、戻ってきて存在価値が増すので解決します。
因果応報というと自業自得と、悪い意味を期待する時に多く使われてしまいますが、実は良い因果が常に自分の周りを循環し続けています。
これが日常の多忙な雑踏のノイズにかき消され、見えなくなっているのです。
科学で因果関係というと横断的研究な流れで、縦断的研究、長期的な追実験が何度も必要になります。
それでも証明は無理です。パーセントで統計的に高相関とまでは言える程度です。
数学(神学)のように予定説で神の存在証明が目的ではなく、この世は神不在の偶然ランダム性の世界。
生老病死は避けられませんが、因果応報が予定的な宿命が決まっているわけではありません。
良きパッサーを続ければ「バリア」が強化され「縁」のノードが強固になるのです。