2012年頃を堺に日本の世界遺産登録は毎年の定例行事になりました。
2000年:琉球王国のグスクおよび関連遺産群(沖縄県)
2004年:紀伊山地の霊場と参詣道(奈良県、和歌山県、三重県)
2007年:石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)
2011年:平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手県)
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2013年:富士山-信仰の対象と芸術の源泉(山梨県、静岡県)
2014年:富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)
2015年:明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、山口県、岩手県、静岡県)
2016年:ル・コルビュジエの建築作品-近代建築への顕著な貢献-(国立西洋美術館=東京都)
2017年:「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県)
2018年:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(長崎県、熊本県)
2019年:百舌鳥・古市古墳群(大阪府)
2011年以前は、世界遺産認定といえば3~4年に1ヶ所ずつ。
しかし2012年を堺に、毎年日本のどこかが世界遺産登録されています。
例えば、2013年に登録された富士山。
それ以前から何度も申請されていましたが、ゴミが多いだのの理由で却下を繰り返していました。
しれっと、すぐ登録されました。それ以降、毎年のように登録がラッシュしています。
この裏には何があったのでしょうか?
きっかけは2012年にあった政権交代です。
この時期に、民主党の野田政権から自民党の安倍政権へ政権が戻ります。
それからアベノミクスという銀行のお金を刷りまくって経済を強制的に上げていく政策を取ります。
これにより、海外へお金をバラまきまくったのです。
フランスの世界遺産を運営するユネスコ、三ツ星で食べ物を評価するミシュラン。
スイスのノーベル章。。
外務省や文科省の公務員官僚の出世コースには、ユネスコ理事のポストがあります。
どんどん発言力を強めていったのです。
日産ゴーン逮捕してフランスのルノーに貢ぐのも。フランスへの日本の接待です。
これを官製の「世界遺産登録ビジネス」と私は命名しました。
「枠」を買って決まる世界遺産
そもそもノーベル賞にしても、ユネスコ世界遺産登録にしても、オリンピック開催国にしても、審査なんて形だけです。
事前にどれだけその国がカネくれたかで優先「枠」を決めます。賞をカネで買っているのが現実です。
これは日本の受験での「推薦枠」と似ています。
お金のある私立学校に通っていた人だと受験先に推薦枠の大学や高校がたくさんあって当たり前と思っていますが、地方の私立や公立と比較した場合、推薦枠は少ないです。
これも進学先学校と提携して「推薦枠を買っている」からです。
高校は進学率を上げるために推薦校の枠を買います。大学は売って儲けます。Win-Winな関係です。
都市部の中高生ほど進学率が高くなるのは、単に成績が良いと言うより推薦枠が多いので進学率が高くなるためです。
世界遺産も同じです。
2012年からのアベノミクスで外務省を筆頭に世界遺産登録ビジネスを始めました。
今まで散々跳ね除けられてきた富士山や、ノーベル章の連発。
その他毎年のように日本の各地が世界遺産に登録されました。
アベノミクスでお金を刷りまくってユネスコにお金を配って「枠を買った」からです。
世界遺産登録ビジネスで地元は潰れる
世界遺産に登録されて地域振興されて良いじゃん!何がまずいの?
と思うかもしれません。
確かに日本が世界遺産登録されて世界的にも注目されて観光資源となるのは良いことです。
しかし世界遺産の場合、ドラマやアニメの舞台になって聖地巡礼されるのとは異なります。
「国」が決めているからです。
現実には地元の商業を一気に潰します。
例えば、岩手県の平泉の世界遺産・中尊寺金色堂の周辺は、世界遺産登録された途端、周囲の地元商店街は「景観を崩す」という理由で、国から規制されてお取り潰されました。
①まず、国から、看板ダメ、装飾ダメ、ネオンダメの規制がかかります。実質的な商売停止です。
②次に補助金という名目でカネ出して住民を黙らせて平泉周辺から撤去させました。ダム工事や高速道路での立ち退き料と同じです。
おかげで閑古鳥が鳴く殺風景な地元になりました。
最寄り駅から世界遺産までの商店街はシャッター街。
官製で公務員が天下るお土産屋だけが並びます。
(実際の地元住民 談)
JR東海で行く伊勢志摩の熊野古道も同じです。
バスや観光は整備されていますが、最寄り駅から世界遺産までの商店街はシャッター街。
熊野古道・熊野三山一人旅~那智の滝と神倉神社ゴトビキ岩こそ日本最古の最強神~
白黒の単色の店ばかりが並ぶので分かりやすい風景です。
世界遺産は日本国としてめでたいような気はします。
しかし日本国民の大切な税金を海外へ貢いで、推薦した外務省官僚のみが出世し、元の日本の地元の景観を崩していくという負の側面があるのです。