副作用のない薬はこの世にありません。副作用のない薬を「万能薬」と呼びますが、まだこの世に実在していません。
これは断言できます。

しかしなぜかワクチンや治療薬は「副作用のない」ということしたい人達がいます。

逆に「悪影響しかない」ということを言い続けている人達もいます。

彼らの論調として「ワクチンが危険いうのはデマだ」「ワクチンが安全というのはデマだ」と言うところから始まります。

この断言の論調それ自体がデマなので注意してください。

結論から言うと「どちらも間違っています」

なぜなら医学根拠は、最低でも「5年以上の数万人以上の長期的な症例の調査が必要だから」です。


2020年から5年間で「治った」という薬は信じるな!

一年前から書いていますが、何度も書きます。

2020年から5年間で「治った」という薬を信じてはいけません。

どんな薬や対処法が出てこようとも、EBM(医療の科学的根拠)によるコホート研究やランダム化比較試験という厳密なテストで効果が実証されるまで最低でも5年はかかるからです。

それからメタアナリシスというメタ分析になります。

一時的に改善しただけで、まだ再発の可能性もありますし、副作用も未知数です。

理論上の症例回復レベル。副作用も考慮なし。比較的マシというだけです。

逆を言えば、このような薬でさえ「治った」というのが難しいのに、2020年から5年以内に「治った」と銘打つ薬や対処法が出てきたら

「100%デマのウソである」と断言できます。

前記事
新型コ口ナウィルス(C○VID-19)改善薬の裏事情と今後の予想

「局所解の罠」に注意しよう

局所解の罠とは認知心理学者の下條信輔氏が著書の中で使っていた言葉です。

日本人は局所解に陥りやすい。

すなわち「狭い範囲では最適解だが、よりグローバルにみると最適ではなく、害すらある解」。

もともと日本人はタテマエと本音の乖離になれている。そして日本社会は無競争と独占の「安住の時代」を経て、急に自由競争と市場原理にさらされることになった。
するとたちまちタテマエと本音の間で、生き残るための改ざん、でっち上げ、やらせといった局所解がひねり出され、定着してしまう。
これが日本型「不祥事の構図」のパターンその1だ。
一連の食材偽装はその典型例と言える。
要するに与えられた競合状況に対して、素早く容易な局所解をみつけておちついてしまう心性を、皆がもっているということだ。

ブラックボックス化する現代—変容する潜在認知

例えば、今回のワクチンや治療薬の場合、

副作用が出たとしても
「専門家の想定内だから安全です」
「ワクチンの研究方法は問題ないから安全です」
「ワクチンは危険というのはデマです」

と話を本筋からずらして話してくる人が必ず出てくるでしょう。

その一部の領域だけで成り立つことを、さも全人類共通のように言う詭弁です。
ワクチンの普及と比例して安全論が増えていく過程でこの論調が流行っていくでしょう。

そもそも治験は最低でも5年以上の数万人単位での長期研究が必要なのです。

コロナが流行してたった数ヶ月(2021年1月現在)で作って、十分な臨床治験もせずに、なぜか「永久に安全」と断言できる根拠が不明です。

どんなに最先端でも、どんな高性能なAIや機械学習でモデルでも、どんなにビックデータで検証されていたとしても、
「現実の実時間で5年以上、万単位での検証」の研究はまだされていません。

過去記事
なぜ関係ない結論が出てしまうのか?~局所解の罠~


ワクチンに関して断言しないほうが良い

間違いなく「前提」として断言できることは
・副作用がないわけがない。(副作用はあるに決まっている)
・医学根拠は「5年以上の数万人以上の長期的な症例の調査が必要」

です。

5年以上経っていない、1万人以上の5年以上の追跡調査の症例がない状態で「危険」「安全」と断言することは絶対にできません。

これは最低限、断言できることです。

まともに学んだ人なら「危険というデマ」とも「安全というデマ」とも言えないはずです。

もし「安全」と言っていたとしたら、必ず後で副作用が出るので、100%絶対に薬害問題に発展します。

必ずその人の墓穴になります。

そして「副作用」は2020年夏に「免責」されているので、表向きには「副作用は起こらない」のです。
起こっても消されていく。薬以上にこの仕組みがとても危険なことなのです。

コロナ治療薬の宗教化から第二のディオバン事件になる未来