神経症・人格障害・精神病へと変わっていく過程で、どんどん人が離れていきます。
本人の性格がどんどん現実から離れていくので共感する人が誰もいなくなるのです。
どうやってその過程を進んでいくのか?
神経症→人格障害→精神病の認知の変化まとめ
からまとめて書いていきます。
大きくは「強迫性」「過度の一般化」「幼児的操作」「非現実的欲求」の4つのことをします。
家庭や学校や職場でも、4つをやる人は嫌われているはずです。
①強迫性
「~すべき」「~しなければならない」と語尾に必ずべきをつける
「強迫性」
神経症者(不安障害)と会話すると、語尾に常に「~すべき」「~しなければならない」がつきます。
常に「~すべき」と語尾につけるので心理学者のカレン・ホルナイは「べきの暴君」と呼んでいました。
一人で言っている分には他人には無害ですが、他人に欲求しだすと悲劇のスタートになります。
神経症から人格障害までの典型順序~「~すべき」発想→脳の時間停止→他人見下し→精神病へ~
②過度の一般化
自分の一人称を複数形に言い換える
「過度の一般化」が起こります。
自分の「私は」の一人称を、「私たちは」「みんなは」「社会は」「常識では」「世間では」と言い換えるので、わがままな個人的な欲求を「過度に一般化」して言う。
一人称が「I」(私)から「We」(我々)になる。一人しかいないのに主語が「複数形」なって、次に「社会は」「常識は」「世間は」と肥大化していきます。
自分の単なるこだわりを他人に承認させるために、他人に強要しだすのです。
③幼児的操作
相手を操作したがる
「幼児的操作性」
自分のこだわりを他人に強要させるために操作をしようとします。
「幼児的」とつくのは、彼らが他人に強要させる行動がほとんど根拠に基づかないもので、「幼児期に満たされなかった」ことが基礎にあるからです。
幼児がする操作なので「幼児的操作」と言います。
例えば、「ママー!スプーン取ってー!」など幼児が欲求して母親を操作します。
これで操作することで、幼児は安心感と万能感を得ます。これは大切なことです。
幼児期は親を操作して安心感を得ることで、成長とともに「自分でやろう」とする自立心がつくのです。
しかしこの時期にその幼児的な行動が満たされていないと、大人になってから同じことをします。何歳になろうとも同じことをします。
「おい、スプーンもってこい。」などと、自分がやれることでも、自分より弱そうな者を見つけては高圧的に操作しようとしてきます。
とにかく自己愛が強いので「自分が知っていることが唯一の現実」となるため、他人には「そんなことも知らないのか」「そんなこともできないのか」「甘えるな」「社会はそれを許さない」等の自己中心的な言葉が多くなります。
彼・彼女らの話は、とても自己中心的で、他人にとってはどうでもいい話。
これは精神医学で「小さな物語」と呼ばれています。この「小さな物語に巻き込んできる」のです。自己愛の「巻き込み型」とも呼ばれます。
同情と罪悪感に巻き込もうとする人格障害~幼児的操作に乗らないこと~
④非現実的欲求
他人に対して無理難題を欲求する
「非現実的欲求」
が起こります。
相手は自分より優れていると証明したいため「そんなこともできないのか」と言いたいがために、逆に無理難題を他人に欲求しだします。
自分はそれができるわけがないのに、です。
例えば、
「空を飛んでみろ」と他人に欲求して「そんなこともできないのか」「嘘つきめ」「裏切り者め」「世間では許されない」と言ったりします。言っていることがめちゃくちゃなのです。
なぜSNSアカウントやメールアドレスをコロコロ変える人は危険なのか?
対策は「逃げること」
彼・彼女らへの対策はとにかく「逃げる」ことです。
家庭だろうが学校だろうが職場だろうが関係ありません。
彼・彼女らは嫌われていることに無自覚か、地位や権力でその立場が守られてしまっているのです。
彼・彼女らの「小さな物語」に巻き込まれて同じ泥舟で沈没しないようにしなくてはなりません。
彼・彼女らは自分で自覚するまで一生満たされることはありません。
大人になってどれだけ慈悲深い人が共感の手を差し伸べようとも、学んで改善するほどの脳みそは持ち合わせていません。
「周りにどう思われるか」という罪悪感を人質に取って引き留めようともしてきますが、そんな人質を取るような卑怯な人だから人が離れるのです。
積極的に離れましょう。
彼・彼女ら自身の心の問題なので、自身が転んで気付くまで一生気付くことはありません。
何よりも逃げることが最善であり、あなたにとって最大の利益です。
体験談
例えば、私の家の父は若年性のパーキンソン病の身体障害者です。パーキンソン病の人は発症前から共通して潔癖症(強迫性障害)が出ている度が過ぎて几帳面なことが多いです。
今は寝たきりとなっています。ただ、首から上はしゃべれるので指示だけは出してきます。
今年からもう正月に親戚が集まってくることはなくなりました。
それは例年に及ぶ父の「やにこさ」による幼児的操作に親戚を巻き込みたくないと思ったので、私から断ったからです。
やにこさとパーキンソン病の時間の連続性について
例年、父は親戚が集まった時に一人ずつ「タイムシート」を作り、正月から親戚の家に来た時の動き・行動の管理・操作をしようとしました。
正月からそんなことをされては迷惑なのです。
とはいえ今年も父は自分は動けないのに、実家に帰ってきた私や母を操作して、「1日目はおせちとお寿司」「2日目はたこ焼き」「3日目はしゃぶしゃぶ」と指定をしだしました。誰も食べたいし、やりたいなども一言も言っていないのです。
その父の食事介助するのは私や母なのですが、父にそのあたりの遠慮の配慮はないのです。
父の想像として、テーブル全体に広がるほどのオードブルとお寿司、たこ焼き器でたこ焼き、鍋を囲んでのしゃぶしゃぶをして
「さー取れ!取れ!」「よし!しゃぶしゃぶお湯3秒!今!この皿へ盛れ!」「なにやってるんだ!そんなこともできないのか!」
と例年の親戚に対してやったように、私や母を操作して家長ぶりたかったのでしょうが、そうはいきません。
お寿司は一人用パック、たこ焼きも一人用パック、しゃぶしゃぶも豚肉を先にお湯で通して父のみに出しました。
そしてあとは逃げました。
最初からそのようなシナリオが描かれているのであれば、このように巻き込まれないように逃げなければなりません。
祖母もそうでしたが、自分が障害者になってくると「他人を操作しよう」とする欲求がひどくなってきて介助者が潰れてしまいます。
「巻き込む」ことで、「私は言っていない。他人がやりたいと言った」という「人のせい」にできるのでしょうが、その罠に引っかからないようにしていくことが大切なのです。