私自身によく学歴がどうこうと張り合おうとしてくる人がいます。私自身が知的インテリっぽいキャラクターなので見下そうと必死なのでしょう。

しかしどうも学歴自慢する人は信用できません。

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学歴は事実であって、それにどうこう感じるのは雑念だ。
「東京大学」という単語に対して「嫉妬」や「尊敬」を感じるのは、「ピーマン」という単語に対して「苦い」「嫌い」と感じるのと同じくらい個人の捉え方の問題による。
加えて例えば「私は東京大学出身だ」と言ってもハーバード大学からみれば雑魚であり、上を見ればキリがない。

・・という人がいます。

これには一理あります。

しかし私がそもそも信用できないのは「苦労を知らないだろう」ということです。

なぜ学歴自慢する人は苦労を知らないか?

難関国立大学だろうと難関私立大学だろうと入るにはそれなりの勉強の苦労をしたでしょう。

他人を更に見下すために「全然簡単だった」と開き直る人も多いです。

いずれにしろ聞かれてもいないのに自慢する人は、

①学歴以外に人生のものさしがない
②経済的な弱者に配慮がない

この2つが大きく問題なのです。

①学歴以外に人生のものさしがない

人間には長所短所がある一長一短なので、どんなことにも得意不得意はあります。

なので学校の五教科の勉強が苦手でもそれ以外の長所がある場合もあります。
体育でも音楽でもプログラミングでも栽培でも建築でも生産性のあるなしに関わらず、長所はあります。

このことが分かっていれば、学歴以外にも人生のものさしがいくつか出てきて価値観の多様性を認められるはずなのです。

なのに学歴以外に見つけられなかったということはいかに洞察力が低いかということです。

画一的な見方しか形成されていないのです。

②経済的な弱者に配慮がない

国立と私立で「国立の方は頭良いから」と思っている人が多いかと思いますが違います。

「貧困だから勉強せざるを得なかった」「私立へ行けるお金なかった」という人が大勢いるのです。

実際に行ってみるとよくわかります。
経済的に節約しながら謙虚に勉強してきた「本物」の人たちがいます。

加えて言えば、私立であっても貧困家庭のために支援金や奨学金を受けて通っている頭の良い人もいます。

単に学歴自慢する人はそういう人もいる可能性を知らないのです。

だからそういう事情を知らないと自慢だけしてしまうと「あぁ、この人は苦労を知らないな」と分かってしまうのです。
「お前の家はお金あったんだな」と分かるのです。

つまり可能性への配慮がない、そのような裏事情のある人を知らない、情報不足で信じられないという信用が問われてしまうのです。