家庭、学校、職場、友人関係や活動、会議でもとにかく否定しかしない人がいます。
例えば、匿名掲示板では、肯定的なスレッドを立てれば(話題をすれば)否定的なレス(返信)が。否定的なスレッドを立てればそれに否定するので肯定的なレスがつきます。
バカボンのパパのように「反対の反対なのだ」が起こります。
これは「何でも反対のことをする妖怪」として日本では「天の邪鬼(あまのじゃく)」と例えられています。
なぜこんなことが起こるのでしょうか?
それは彼・彼女らが、自分のことにしか興味がないからです。
これは自己愛傾向と呼ばれます。
別にそれ自体は悪いことではありません。一人で熱中できてることなので。
問題は、会議などの議題で何らかの問題解決をしようとしている時に、ひたすら他人の否定だけして「私は興味ない」「どうでもいい」と逃げていくことです。
なぜ「なるほど。そういう意見もありますね。」と受容するのではなく、「私は興味ない」「どうでもいい」と言い出すかというと、
「私の意見には無条件で周りは従え」という教祖のような自己愛の特性があるからです。
幼児期の万能感が抜けきれていないので、これを「幼児的願望」「幼児的操作」と心理学では呼びます。
「災害より私の方がえらい」と言う自己愛~どうしてみんな津波に飲まれてるの?私は大丈夫なのに!~
事故を防ぐには?←「だって私は起こさないんですよ!」で進まない議論~自己愛・アスペルガーとの会話~
「批判家は提案できない」という最大の弱点
この幼児性は、「周りを否定することで、自分に興味を持ってもらいたい」という心性からきています。
母親に良いことをして褒めてもらえないと、皿を割ってでも、悪いことをしてでも注目してもらおうとします。
プラスではなく、マイナスのことをして興味をひこうとします。
その行動の動機は、破滅的なものです。
なので自己愛の最大の弱点は「ではどうしたらもっと良くなりますか?」という建設的な提案を求められることなのです。
仮に答えられたとしても「人類みんなが滅べばいい」「私はそんなことには興味ない」
「あいつは○○だからダメなんだ」(レッテル貼りでの合理化)
「社会では通用しない。みんな興味ない。」(一人称を複数形にする過度の一般化)
など、何の建設的な提案が出てこないのです。
批判家というのは、評論家とは違います。
評論家は、否定と肯定の両方から考察できますが、批判家は否定しかしません。
それを見極めるコツは「建設的な提案ができるかどうか?」ということです。
最初から相手にしないことが最善
彼・彼女らは自分のアリ地獄に落として、食いつぶすことが最大の目的です。
それで自己愛が満たされるかというと、満たされません。
本人が反省して気づくまで一生続けます。
なので最初から「相手にしない」というのが最善なのです。