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あいちトリエンナーレ2019~愛知芸術文化センター&名古屋市美術館&四間道・円頓寺編~
に引き続いて、あいちトリエンナーレの豊田市美術館へ後日、向かいました。


あいちトリエンナーレ豊田市美術館

豊田市美術館。初めて行ったけど環境が良くてびっくりした。

豊田市美術館。2階の鏡の間。

高橋節郎展。金箔と漆で豪華。

高橋節郎展。金を使って幻想世界だとクリムトと同じ方向性っぽさはある。静的な被写体が主。ただ日本発祥のものをクリムトが似せて再輸入しても安土桃山文化の進化系という感じでもある。

豊田市美術館きれいやな

豊田市美術館2F

豊田市美術館。こういう無駄な空間もしっかりアートにしてるのがすごい。無意味だがそれがいい。

下村観山。美人と舎利。

あいちトリエンナーレ踊る照明灯

あいちトリエンナーレ回る小部屋

小さなものが悲惨な世界を想像させる。タリン・サイモンの隠されたアメリカの展示。毒物や死刑囚の牢屋、海底パイプなど。

カラーセラピーを思い出した。一色か二色の色に花。きれい。

豊田市美術館からの遠望。遠くにスタジアムが見える。

望遠鏡。おもちゃのお金を入れると瓶底に映像が流れる。沖縄の基地移設反対で警察と戦う市民の様子

レニエールの作品。日本の検閲によって作品が新聞で隠されているのが風刺になっている。

アンナ・フラチョヴァーのアセンションマークⅠ。顔は電動シェーバーとアイロンの裏になっていた。血管のような神経のようなもので繋がれていてどこかグロテスクな要素もはらむ。

豊田市美術館ほんときれい

外で売っていたオリジナルコーラが美味しかった。砂糖とシナモンとショウガ等を混ぜ合わせたシロップに炭酸水。爽やかな喉越しとほんのり温まる優しさがある。

豊田市美術館の西の童子苑。よく整備されている。

童子苑の庭

童子苑のお茶のセット(350円)。些細なもてなしによって作られる心の余裕が大切だと感じた。

クリムト展

クリムト展。すごい行列だった。撮影禁止だったので入り口のポスターを。ものすごく良かった。
ベートーヴェンのウィーン派(オーストリア学派)の古典自由主義の体現者。若いときは女性、中期から風景画を描く。日本に影響されて金を絵で使う。ユフィトⅠやリベラルアーツ3作品もあった。
国の規制に反対した生涯がよく垣間見える。

クリムトのリベラルアーツの一つ「哲学」

クリムトのリベラルアーツの二つ目「医学」。

クリムトのリベラルアーツ三つ目「法学」

クリムトのベートーヴェン・フリーズの「歓喜の歌」。壁画のラスト。愛と祝福。


廃校の豊田東高等学校のアート

廃校の旧豊田東高等学校を利用したアート。プールが石板返しされている。単に返されたのではなく反転してある違和感。

風呂に這い出るアート。

水道や下駄箱にアートが散りばめられている。思い出と連想の同居。

女子トイレも男子トイレもあーとにされていた。正直どちらも入りづらかった。

これにしかなれなかった感

【廃校】豊田東高等学校のアート群。

【廃校】豊田東高等学校の誰もいないはずの部室から合唱が…

【廃校】豊田東高等学校の体育館のアート

とよた大衆芸術センターのアート

とよた大衆芸術センター。コーヒーが飲める。美味しかった。

時間圧縮。

とよた大衆芸術センター。フルーツは傷んだら値段が下がるのにお金はなぜ傷んでも下がらないのか?という根底の疑問を道端で提起してお金を売る動画。1万円を8700円で売ったりしている。市場価値を改めて問うていて興味深い。人は単なる引換券の紙切れに価値を錯覚している。その奥にあるのは交換のサービス。


豊田市駅・豊田駅のアート

長崎の原爆投下された後、その中心地に2年間だけあったネオンのオブジェ。その後に撤去される。その再現。

豊田市駅と豊田駅を横断する道。JRと名鉄。このあたりはプチ名古屋みたいで時間を潰せる。

印象に残った展示「レンタルあかちゃん」(しんかぞく作)。ポップな看板と年配のおじいさんがピンクエプロン付けてて一瞬困惑した。

赤ちゃんレンタルしますか?(真顔)と言われ、
あずかる(パソコンからランダムの絵が出てきてプリント)→紙持って移動→次のブースの紙スキャンで欲求→次のブースで手書きで絵を転写して欲求満たす→2つの紙を最初のブースに持ち帰る→親(原作者)探し→貼る→次の人へ…という工程。
意味のない行為に見えたがストーリーが乗っかってきていた。
絵には、いろんな人の転写があったが同じ転写をしてる人は少なくバリエーションがあった。

以後、ネタバレ↓

パソコンから出てきたランダム絵は「現実には産まれて来れなかった赤ちゃん」だった。
産まれる前に亡くなった赤ちゃんや、同性愛のイマジナリーベビー等。
何気なくパソコンからプリントされたイラストだがストーリーがあった。

絵を転写して書き写すと自分の所有のように思ってしまう。
それにあとからストーリーが乗っかると、その親の原体験を共有することになる。移動という体感としての経験をさせる工夫も良い。

最後にお別れしてまた他の人に手渡す(パソコンに取り込まれる)という一連の流れがすごすぎる。縁の中で生かされているのだと気付かされる。あとで泣きそうになった。