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災害などが起こるとなぜか「自分の方が上だ!」と言い出す人がいる。

東日本大震災の時も、熊本大震災の時も。
大きな事故の時、大きな事件の時、戦争の時も。

現実でもわざわざ報告しにくる人もいる。TwitterやFacebookなどのSNSだと散見する。

単刀直入に言えば

「全世界は私に注目して当たり前!」

という万能感の自己愛から来るものだ。

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5才児の頃、乳幼児期にママから守られていた万能感が抜け切れていない人が、この発想をしてしまう。

通常は自分自身が全世界から注目されているという妄想を見ている。

そこで大きな災害・事件・事故が起ると、周辺の人の注目はそっちに向かってしまう。

だから本人は無自覚に不謹慎なことを言ったり、「災害より私の方がエライ」と意味不明なことを言ってしまう。

自己愛において、「良い自己愛」と「悪い自己愛」がある。

「良い自己愛」とは「成熟した自己愛」へ向かっている自己愛。
「対象愛」へ向かっている自己愛。

「悪い自己愛」とは「仮想的有能感」。
「自体愛」と言って乳幼児期の「自己中心性」が抜けきれないまま「他人を見下してしまう」「他者軽視してしまう」自己愛だ。

自分の愛を他人に分け与えることができるか、自分の中で保守してしまって他人を攻撃してしまうか、

ということ。

自体愛・自己愛・対象愛

大きな災害・事件・事故の時に「悪い自己愛」に傾いてしまうのは発達の未熟さから来るものなので仕方ない。

危機心理学においても有事の際に「意味不明な行動を取る」ことに関しては、それを否定するのではなく、当人は発達の未熟さから心理的に混乱しているので共感すべき(支持する必要はない)とされている。

例えば、下は子どもの空間認知能力の発達を調べるために発達心理学者のピアジェとインヘルダー(Piaget,J. & Inhelder,B.,1948)において用いられた「三ツ山課題」。

いろんな視点から山を見て、ここから見たら山はどう見れるだろう?こちらからならどう見えるだろう?と問う実験です。

三ツ山課題

ジョージ バターワース,マーガレット ハリス「発達心理学の基本を学ぶ―人間発達の生物学的・文化的基盤」

ピアジェの時代の解釈によると、8歳以下の子供は「自分自身の視点に根差して」おり、自分自身以外の他の視点を想像できないから、自己中心的であると考えられている。
三ツ山課題で言うと、「自分の今見ている場所」の風景しか答えられず、他の視点から見た山の様子は答えられません。
(他人に「同情」できるかどうかですが、実際に8歳頃までは相手の”気持ち”までは深く汲み取っておらず、自分への「置き換え」による同情モドキのようなことをしています。)

これと同じなのです。

東日本大震災で津波で流される人を見ても、「なんでそこにいるの?バ力なの?」と「自分が上から見ている視点」でしか分からず、
「その人から見た視点」が分からないのです。

家の影になっていて津波がどこから来ているか分からない、情報が交錯してどこに行って良いのか分からない、「他人の状態」「他人の見えている世界」が分からないのです。

だから結果、「私は大丈夫なのに!」と見下して、虚勢を張って、論理的に意味不明なことを言ってしまうのです。

年齢も関係ありません。

10代、20代だけでなく、50代、60代、80代それ以上でも脳みそは5才児のまま。

「他人からの見え方」「客観的なものの見方」というのが、分からない人には一生分からないのです。

自閉症スペクトラムDSM-5

大半の場合、LDやADHD、アスペルガーと言った「自閉症スペクトラム障害」を次に疑っていきます。

自閉症状の典型的(定型)として
1、コミュニケーションの欠け(言語障害や言語遅滞など)
2、社会性の欠け(独自のこだわり、理由なしに嫌がったりなど)
3、想像力の欠け(表情からの気分の読み取り、場の雰囲気の理解、共感能力の欠如など)

の3つがあります。

このような典型的(定型)な自閉症を「カナー症候群」と言います。
逆に、1~3の全てに当てはまらないが、どれか1つか2つは当てはまる非典型的な自閉症を「非定型自閉症」(特定不能の広汎性発達障害)と言います。

典型的は自閉症に近く(左矢印)、非典型的な自閉症は健常者に近い(右矢印)、という見方もできるかもしれません。