アートとは「芸術」という意味で考えている人が多いのではないでしょうか?
実は「技術」という意味もあります。
この理由を解説します。
アート(art)は芸術と技術の2つの意味がある
アート(art)は芸術と技術の2つの意味がああります。
自由な表現、自由なモノ作り(商売)。
リベラル・アーツ(liberal arts)と言います。
学問体系でのリベラル・アーツの語源も同じです。
額縁に限られた絵画の枠を超えて、社会に創造を与え、人を突き動かす。
そのためには学問研究と同じく新規的なものを作り出さなくてはいけません。
学問とアートは同じ
リベラル・アーツ学問(自然科学・社会科学=サイエンス=理科)では大きく2パターンあります。
全称命題と特称命題です。
「すべてが真」ということは演繹法の数学的宇宙でしか存在しません。
それに対立して科学(理科)では帰納法を使います。
サンプルの数、統計的な確率で考察します。一つでも外れ値があればそれは「特称命題」になります。
数学は神様が決める、科学は人間が決める
数学は「神様がすべて決めている」「答えは決まっている」という予定説が前提です。
これに対して理科(社会科学・自然科学)は「人間が決める」。
研究も論文も、過去の結果から、次の仮説を立て、考察して、仮説を立てます。
常に「更新」「上書き保存」できる状態になっています。
「更新できません」「これはもう決まっていることです」と言ったとするならそれは「宗教」です。
仮に科学者がそれを言っていたら、「理科系という名の宗教団体でも立ち上げたの?」と聞き返しましょう。
科学的手法の2パターンと人間のエートス(行動慣習)となるまで
研究には、過去の研究に小石を積み上げていくパターンのもの(99%以上これ)と、
そんな小石の山をぶち壊していきなり新規的なロジックを創造するパラダイムシフト型があります。
後者が全称命題からの「外れ値」である「特称命題」から導き出されることは言うまでもありません。
このリベラル・アーツ(芸術・技術)の自由で新規的なものへ「突き動かす力」が、社会学でマックス・ウェーバーのいう個人の内面の「エートス(ethea:行動慣習)」となって社会を形作るのです。
アートで炎上させる
例えば、あいちトリエンナーレ2019という3年に一度の国内最大の芸術祭典がありました。
「平和の少女像」を展示したので、日韓関係が問題となる2019年において、物議を醸し出して、ニュースにもなってSNSでも大炎上しました。
しかしこの祭典は「不自由展」と最初から銘打っているのです。
「自由だからいいじゃん」と開き直らず、最初から「不自由展」と銘打って「特称命題」(外れ値)として機能しています。
美術館という枠を超えて社会に対してアンチテーゼを提示して影響を及ぼしている点において成功した例といえます。
社会を大炎上させた最大芸術祭典「あいちトリエンナーレ」のすごさ
これはミケランジェロがキリスト教の総本山システィーナ礼拝堂「最後の審判」で聖人が地獄へ引きずり込まれる絵を描いたのと同じです。
最初から炎上させるつもりでやっています。