組織・集団から追放されるまでのレッテル貼りの図~「甘え、怠け」→「狂っている、病気」~

心理学・精神医学

臨床心理士同士で話していて、家庭や学校や職場の組織・集団から追放されるまでのレッテル貼りに、このような構図があるのではないか?という話題が出たので書きます。

元はよく集団で「甘えてる」とか「怠けている」と他人に言う人がいるけど、彼・彼女らの定義する「甘え」や「怠け」とはなんだろう?

という話です。

結論から書くと「その組織・集団のルールの枠を守れないと”甘え”や”怠け”」と言われます。

ただし、他人にそれを言う場合は、それを他人に言う人自身が、どうにかしようと考えず「思考停止」という「怠け」をして「甘え」ています。

安直なレッテル貼りの結論に逃げているからです。

ここで気づいてほしいのはこの言葉を他人に言う人は、それくらい頭の悪い排他主義者の人だということです。

本当に「怠けている」とか「甘えている」とか関係ありません。

最初から「排除」「追放」へしか思考が向かっていないのです。

第一段階:怠けている、甘えている

【まとめ】
◎「甘え」は、周りの好意をアテにしたいという感情。
◎愛着形成で重要なこと。
◎肯定的な意味で使われる言葉。
◎「甘えるな!」と他人に言うと自己矛盾する。
◎甘えるなと言う人自体が甘えていることになる。

過去記事
「甘えるな!」←と他人に言うことが「甘え」


ここでも書いたとおり、その組織・集団のルールの枠を守れないと”甘え”や”怠け”として排除しようとします。

第二段階:狂っている、病気

「怠け」「甘え」と他人に対して言う人は、同時に「狂っている」「病気」という思考回路で、対象を追放・迫害・攻撃しようとします。

ここでも気づいてほしいのは、そもそも「怠けている」「甘えている」に合致してしまう人は、それを「他人に対して言う人」であり、
実は「狂っている」「病気」なのも、その人本人自身である可能性があることです。

客観的な目線が何一つないのです。

例えば、サッカー選手が、道路のど真ん中で車に対して「なんでサッカーのように足で走らないんだ!甘えている!怠けている!」とドライバーに向かって言っていたらどうでしょうか?
はっきり言って「狂ってる」「病気」と言われます。

なぜ言われるかと言うと「ルールを守っていないから」です。

道路では交通法というルールがあります。サッカーのルールで車は動いているわけではありません。

逆にサッカーの試合中に自動車を運転したらルール違反になるでしょう。

最終的にどうなるのか?

このような形で組織・集団は他人を追放・排除・攻撃・迫害していきます。

いじめられる攻撃対象を作ることで、相対的に組織・集団の人間は「私たちは真面目でマトモ」という安心感を得ようとします。

しかしそのレッテル貼りする排他的な集団に残るのは、本当に「甘え」て「怠け」ていた人だけです。

真面目にひたむきにやる人が、「狂っている」「病気」とされて、どんどん逸脱・追放されるという真逆の事態になっているのが今の日本の職場なのです。

その入口から「甘えている」「怠けている」と他人に言ったことがそもそもの間違いなのです。

できる組織・集団なら、そう思う人がいるなら「ではどうしたらもっと上手くいくだろうか?」という建設的な方向に向かうはずです。

過去記事
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