うちの親父はなんて頑固なんだ!
うちの母親はなんて頑固なんだ!
うちの上司はなんて頑固なんだ!
歳を取ると「頑固になる人」がいます。
一方で「優しく丸くなる人」もいます。
なぜ歳を取ると頑固になるのでしょうか?
なぜ歳を取ると頑固になるのか?
頑固と言っても「一人でやっているぶん」には何の問題もありません。
お金をケチに節約しようとも、お湯の温度や料理の味にケチつけようとも、時間を厳守しようとも。
頑固な人が、その人一人でやっている分にはあなたには何の害もないはずです。
この「こだわり」を職場や家族の他人に向けるのでその人は「頑固」と呼ばれます。
そして頑固な人は「こだわり」の中に「どうして思い通りに動かないんだ」という自己中心的な「怒り」の感情が入るので「頑固」と呼ばれるのです。
物は言いようで、良く言えば「一途」、悪く言えば「頑固」になります。
なので「なぜ歳を取ると頑固になるのか?」とは正確に言えば「なぜ歳を取ると怒りっぽくなるのか」ということなのです。
中年期以降に脳は中学生レベルまで戻る
これは世代別・年代別に見た「仮想的有能感」のグラフ(グラフ上の-■-)です。
仮想的有能感とは、「経験に基づかない根拠ない自信」であり「他人を見下す」という心性で別名「他者軽視」と呼ばれています。
他人を見下す年代は決まっている~アイデンティティの螺旋式成熟モデル~
グラフでは50代あたりの中年期以降から仮想的有能感(根拠なく他人を見下す傾向)の心性が復活します。
仮想的有能感は中学生頃にMAXになり、社会に出て減り、中年期にまた中学生レベルに戻ります。
人は子どもの頃は「ママに全て守られている!私は全宇宙一の最高無敵!」という万能感を持っています。
しかし人格が形成される中学生になる頃には、集団の中で社会性を身に着けるうち「思い通りに行かないこともある」「努力しても報われないこともある」と分かってきます。
自転車で何度も転ぶうちに「転ぶと危ない」と学ぶようなものです。
なので中学生から社会人にかけて、実際の経験に基づく自信である「自尊感情」(グラフ上の-▲-)が上がっていきます。
自尊感情と仮想的有能感は真反対です。
自信がなくなると、自信がなくなった分「他人を下げよう」とするので、仮想的有能感が上がります。
子どもの頃の親に守られていた万能感が傷つくと、自信がなくなるので、自分の努力ではなく、他人の評価を下げようとします。
同じようにおっさんやおばさんの中年以降になって自分に自信がなくなると、他人の評価を下げようとします。
怒りが
仮想的有能感が上がると、IQ(知能指数)も下がるので怒りっぽくなります。
そこに「自分は何でも出来るんだい!」「全知全能なんだい!」「他の奴らは何でわからないんだ!」という根拠ない自信が加わって頑固となるのです。
頑固に固執する二分法思考(白黒や善悪でしか物事を判断できない)とも高く相関します。
「周りは何もできない」というゴールに自分以外を向かわせる神経症者
丸くなる人はありのままの自分を受け入れている
仮想的有能感の年代別推移。ここでも年配になると、何でも出来るという「全能型」と、他人を見下して何でも出来るという「仮想型」が中学生レベルまで退行している。
(参考)
頑固になる人は自分に自信がなくなった分、仮想的有能感で他人を見下して自分を補おうとしているのです。
そもそもその原因は、加齢による難聴や記憶力や認知機能の低下、コミュニケーションに対する億劫さが原因となるためです。
認知症の人が怒りっぽい症状が出るのはこのためです。
しかしみんながそうではありません。
なぜか「丸くなる人」もいます。
「丸くなる人」は「頑固になる人」とどう違うかと言うと「自分を受け入れている」のです。
「頑固になる人」は「過去で時間停止した人」です。
例えば、携帯電話で考えてみましょう。
頑固になる人は、古いガラケーの携帯電話で「これ以上のものなし!最新のスマホなんて知るか!」と言います。
この裏には、自分が人類最高という仮想的有能感と、「自分がもう新しいスマホは使いこなせない」という不安があります。
「古いもの最高」と「過去で時間停止」するのでアップデート・上書き保存の更新がありません。
しかし、丸くなる人は、最新のスマホでも手にとって触ってみようとします。
覚える速度は若いときよりは劣りますが、それでも新しいものへチャレンジしようとするのです。
この大前提として「他人と比較しない」という本物の自信があります。
「自分が確立」しているので、記憶力や認知機能の低下(流動性知能の低下)があっても自身のこととして受け入れているのです。
これが「結晶性知能」と呼びます。
流動性知能が劣ろうとも経験則から正しい判断が出来るようになります。
この「頑固になる人」と「丸くなる人」のこの差がどこで生まれたかと言うと、実は幼少期に仮想的有能感をいかにして克服したかという「育ち」にあります。
周囲に「弱くても良い自分」を認めてくれる他者がいれば、わざわざ他人を見下す仮想的有能感がなくても、個人で努力できる本物の自尊感情へ変わっていきます。
それが達成されていないと、高齢になってから同じ課題と向き合うことになるのです。