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インターネットでは度々言い争いになることがある。

しかし反論を返す価値もない、返さなくて良いことも多い。

それにはパターンが有る。

それは内容や根拠がないのに、一人称を複数形にして他者卑下の言葉だけをくっつけた文を送ってくる場合である。

私はこれを「神経症者の定型文」と呼んでいる。
彼・彼女らは「自分は特別」と思って書き込んでいるようだが、恐ろしいくらいに典型的なパターンなのだ。

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神経症者の定型文

『(一人称を複数形に置換)+内容なし(否定語)+(他者卑下の言葉)』。

一人称なのに「常識、みんな、社会、一般、科学」と複数形に言い換え、内容はない。

「常識ではありえない。だからお前はバ力なんだ」

「社会は所詮その程度、だから低レベルだ」

このように全く内容(根拠)のない感情論であることがよく分かる。

「所詮、たかが、どうせ、その程度、~ない」と否定し、
「バ力、無能、低レベル、詐欺、誰(俺)でもできる」と他者卑下で結論付ける。

例えば、
リベラル・アーツの話をした際、
「日本人はみんなやってないからそれは間違いだ」とか「オレが違うと思ったからそれは間違いだ」
と定型文通りのコメントがあった。

あるいは「自然科学も社会科学も、学問は全て別物で何の関係もない」と、頑なに学問に線引きする人。
「なぜですか?」と聞いても「オレが思ったから、みんなそんなことやってないから。」と答える人がいる。
こういう人が理数系とか名乗ってると、ますますリベラル・アーツの必要性を思い知らされる。

面白いのは共通して語尾にバ力だのの「人格否定の他者卑下の単語」が入ること。

これが反論になってないことに気付いてない。

自己愛の強い神経症者と話すと「世の中は有能人間と無能人間がいて、俺の言うことに従うのが有能人間で…」と17世紀のエリザベス救貧法の有能・無能貧民みたいな価値観を語り始める。

「なぜそう思うのですか?」と聞くと「オレがそう思ったから」と返す。

それに何の根拠もないことが分かっていない。

こうやって周りを否定することで自分を防御すると、どんどん閉鎖的になって、避けられようのない現実を突きつけられた時に火病(ファビョン:韓国人に多く見られる。文化的に受け入れがたいことでヒステリックになる病気。)のようになってしまう。

心理学では受け入れがたい事実を突きつけられると混乱してしまうのを「心理的抵抗」という。

そして信じるものを急に失って絶望して怒り狂ったり嘲笑に走るのを「急性アノミー」と言う。

特に個人的にであるが、自分を理数系と信じて誇示する唯物論者は大嫌いである。
一生、奴隷でいてください、と思う。

短絡的な二分法思考を持つ人の、精神病理研究はまだ途中段階だけども、根拠のない自信である仮想的有能感(他者軽視)が強く、精神病理とも相関高いのは分かっている。

抽象度が低すぎて自己愛が強く、「自分が正しい」に支配されすぎて、他者軽視や嘲笑に走りやすい。

基本的に動機付けはポジティブな動機付けなイメージが良いとされてるけど、ネガティブな動機付けはあまり注目されない。

青年心理学会とか教育心理学会でよくテーマにされるが、仮想的有能感(他者軽視)の人の自尊感情を高める方法が、復讐心以外に無いものかといつも思う。