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岐阜県美濃加茂市の「山の道」
https://retty.me/area/PRE21/ARE382/SUB38203/100000523019/
の朴葉寿司が凄まじく美味いという話を書いたら、

何の縁か、先日、そこで料理を食べることが出来ました。

実は、元々ここの料理長(兼経営者)の方とは知り合いで偶然、連絡が取れました。

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前述した通り、この「山の道」というお店は、近所でも異色を放っており、
岐阜県の山奥の秘境でありながら、
宮家の方々(画像2左:梨本殿下・一条殿下)や、
帝国ホテル総料理長の村上信夫や、料理研究家の服部幸應[はっとりゆきお](画像2右)
や、芸能人や、岐阜県知事も御忍びで食べに来ると言うカオスな場所です。

(特に、画像1の料理の中にあるゼンマイは、やたらヌルヌルしている新種のゼンマイで、村上信夫氏が絶賛して、採取方法と作り方を帝国ホテルで直々に教習願いたいと、この店の料理長に願い出るも、平気で断ったと言う伝説の品。)

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「宮家御用達制度」といって、戦前は(大日本帝国憲法では)法的に宮内庁に納める物品が厳しく選定されていました。しかし、戦後(日本国憲法)で、「宮内庁御用達」の呼称は単に「宮内庁が購入している」という事実関係を示す(法的根拠のない)俗称に過ぎなくなり、宮内庁への御用達制度も1958年(昭和33年)に廃止されました。

そのため、現在では勝手に「~御用達」と名乗る業者も増えてきましたが、それはそれで、そういうことをすると取り締まりの対象となります。
それでも、今でも品位を保つ為に天皇・皇后・皇族の使用品には全て日本一の最高級品が用いられています。(宮内庁御用達には[献上と納入]の2種類存在する。献上は皇室。納入は宮内庁。)

(今でも、イギリスのイギリス王室御用達は許可制です。王族個々人が、それぞれ気に入った製品の生産者に対して、王室から御用達リストに加えます。洋食器のウェッジウッド、紅茶のトワイニング、アパレルのバーバリーなど一流品が有名です)

よって、この「山の道」も、料理を食べれるのは【一日2組】だけです。

しかも、通常は予約で【2ヶ月待ち】が普通です。

何度も書きますが、人智を超えた美味さです。
自然な山の旨みを最大限引き出したら、この味が出せるのだろうと思います。
画像では伝わりにくいかも知れませんが、料理の量も若者が満腹と感じるそれ以上の量です。

新鮮な素材を仕入れるために、現料理長の川邊芙美代さんは早朝から野菜市場を駆け巡ってその日のお客さんの料理分の素材を仕入れます。
どうしても山の自然の新鮮な素材にこだわりがあるようで、大量生産品やスーパーの品や保存料や添加物や農薬の入った食品は使わないそうです。

そのため睡眠時間は一日3時間だそうです。

午前中に朴歯寿司を100個手作りしますが、もちろん人気商品なので完売するのは良いものの、それでも【実質の売り上げは一日40円】で、全く儲けになりません。

去年、お店を支えていた御主人(元料理長)がいきなり急死して、銀行から400万円の借金をして破綻ギリギリで経営しているという現状です。

いくら宮家御用達で帝国ホテル料理長がお気に入りで太鼓判を押していても、実際はこのような実状だと川邊さんは語っていました。

宮家や帝国ホテルから御用達にされて承認されたという運が上り詰めた所で、
料理長の主人が亡くなり、一気に借金生活という波乱万丈な人生を送っている川邊さん(78歳)は、
一種の”悟り”の境地に達し、スピリチュアリティ(霊性)への心得が卓越し、【感謝行】の大切さを語り始めました。
それで僕も共感して話が盛り上がりました。

僕もいろんな人の人生を見聞きして思うのは、どういう人も、人生の+と-で、死ぬ頃に決算すれば帳尻(ちょうじり)が合っているという【正負の法則】は本当だと思います。貧民への慰(なぐさ)めでもなく、本当だと思います。
これは理屈では分からないことで、いろんな人の人生を見て感覚的に知ることだと思います。

正を得たいと思うなら、それだけの負なる事前貯金をすることです。
それは慈善の利他的な行為で、つまり愛での他への奉仕と努力によって行われることが最良です。
別に利己的な努力でも構いません。いずれ、自分のためにやっていたことが、相手のためになっていたということに気付きます。気付かなくて傲慢になれば、結局そのあとに利他的な修行をするハメになります。
どちらから入っても利己も利他も表裏一体です。
相手が求めてもいないのに助けることは偽善であり同情ですが、
求められて助けるならば、その後に相手がどう思おうと、それは【慈悲】です。
その動機に見返りを求めないように利他的な行い(無償の愛、自己犠牲の愛)をするのが、修行です。

これを【菩薩行:ぼさつぎょう】と言います。菩薩とは、釈迦の修行中の姿です。

特に、愛の修行は、僕がアイコンにしている観音菩薩(かんのんぼさつ:母性的な様相の菩薩)が司(つかさど)ります。

最初は不純な動機で行って、仮に自分に罪悪感を持っていたとしても、続けているうちにその動機は屈託なき純粋な動機になります。
いずれどんな相手に対しても最適の慈悲を提供することができるようになります。
縁が巡って、いきなり正が訪れることもありますが、そこで上(のぼ)せて感謝行などの利他心を忘れていると、必ずその分は負となって返ってきます。また、その逆も然りです。

ただし、これだけではいけません。
目標をと行動力持たなくては、それだけで終わります。
【願心(がんしん)なきは菩薩の魔事(まじ)】という仏教の教えがあります。
願心とは目標・使命感・志のこと。
これを持たない者は菩薩のように悟りを開いた方でも悪魔の心が入ってきてしまうという意味です。

物質的に発展している人というのは、自分だけのために多くのことを犠牲にした者ですが、そういう者は一過性の花火のように、皆が「あっ」と一瞬驚くことはあっても、すぐに消えてなくなります。
もしくは大借金をしていたり、家族が崩壊して離散状態だったり、やたら早死にしたり、長期的に難病を患ったり、事故にあったり、盗難にあったり、障害の子がいたり、子が犯罪者だったり、必ずそうなっています。
物質的にも精神的にも恵まれて発展して最終的に生き残るのは、本当に菩薩行で徳を積んできた者です。

別に、こんなことを実践する、しないも個人の自由ですが、その結果は、遅かれ早かれ自分自身で気付くまで味わうことになります。
仏教では、この世の誰もが菩薩行の最中だと考えられています。

久々にこんな哲学的(正確には、欧州と同じく知恵の学問で”知学”と訳されるべき。哲学とか意味不明に訳した当時の左翼日本人はどうしようもない。)なことを書きたくなるような贅沢に巡り会って、その罪悪感から感謝行を再確認させられる体験でした。

現代の食生活は「こしょく」と呼ばれていて、5つあるそうです。

「個食」・・・家族の一人ひとりがそれぞれ別々に「好きなもの」を食べるようになった傾向のこと。
「粉食」・・・ラーメン、うどん、パスタ、パンなど粉を使った主食が急増している傾向のこと。
「小食」・・・若年層(育成年代)において食べる量が減る傾向にあること。
「固食」・・・自分が好きなものだけを固定して食べる傾向のこと。
「孤食」・・・一人で食事をする機会が増えている傾向のこと。

これらを改善して、食で育てることを「食育(しょくいく)」と言います。

やはりその土地のものを食べて自産自消するのが一番、健康的ですね(´ω`)

夏に採れるものは身体を冷やし、冬に採れるものは身体を温めます。

そして、昔からその土地には土地神(山神・海神・産土神)が司るとされ、自分の生まれたその土地で出来た食べ物にはその土地の神が宿っているので相性が良いのだと思います。

山菜の味がお分かりになる人は、素晴らしいと思います。
蕨(ワラビ)は僕も大好きです。
あく抜きが難しいのですが、よく裏山で採ってきて食います。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

「生命は機械ではない、生命は流れだ」と言った動的平衡論のルドルフ・シェーンハイマー(~1941)の実検でこういうものがあります。

ネズミは、機械論的に見れば分子の集まり、食べ物もその集まりで、
一般的には食べ物はガソリンのように燃やされてフンや呼吸して二酸化炭素になると
言われてきました。(現在でもそう思っている人が多い)

しかし(アイソトープ:ある原子と同じ原子だが、中性子数の違いにより質量が異なるもの)で着色したチーズをネズミに食べさせたところ、[チーズには原子レベルで着色してある(アイソトープで)]
機械論的に言えば、ネズミはチーズを食べてそのチーズの栄養素を吸収してフンで出るハズが、
チーズはネズミの脳の一部となり、しっぽになり、体中に散らばりました。
半分以上がネズミに”溶け込みました”。
しかしネズミの体重は何も変わらなかったのです。
何かが抜けたということだが、それはネズミの元あった粒子でした。
意外なことに、脳がフンとなり、臓器がフンとなった排出されました。

実はモノを食べると、その分、体が出て行き、排出された分子は呼吸からも出て行くことが分かりました。(うんちにはトウモロコシとかは出るが、それは消化できなかっただけ)

ほとんどは昔の体の一部であり、つまり生命は平衡を保ちながら循環している ということが分かりました。

こうやって食べたモノというのは”自分”になります。
昨日僕が食べたラーメンも、自分の脳みその中まで入ってきているわけですね(´д` )