日本学術会議への学術会員候補者が任命されないという異例な出来事が起こっています。

これは憲法23条「学問の自由ないし学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである」とする
「学問の自由」への侵害です。憲法違反です。


どこが問題なの?

日本学術会議(梶田隆章会長)は3日、新会員候補6人の任命を拒否した菅義偉首相に対し、理由の説明と6人の任命を求める要望書を幹事会で決定し、内閣府に送付した。梶田氏は幹事会後、記者団に「質問して、しっかり理由を理解したい」と述べた。

菅首相宛ての要望書は、学術会議が推薦した会員候補者が任命されない理由の説明と、任命されていない人の速やかな任命を求めている。

会員の法学者でつくる法学委員会は3日の会合で「日本学術会議法上、首相には会員を選考、罷免する権限はない」との考えで一致。違法で即時に是正すべきだとして、法的な論点を整理し、公表することを決めた。

学術会議、6人任命の要望書 首相に説明求める 2020/10/03
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64588390T01C20A0CZ8000/?n_cid=SNSTW001

このニュースで問題なのが、
1、憲法の学問の自由を脅かしている点
2、自由への政府介入という前例を作ることで墓穴を掘っている点

です。

1も問題ですが、2に気づいていない人が多すぎです。

なぜ日本の自由へ介入規制すると他国が得をするのか?

芸術祭典への「表現の自由規制」や、日本学術会議への「学問の自由規制」を支持することが、なぜ墓穴を掘るかというと、
「情勢が変わった時に一発で自分が規制されるから」です。

例えば今後、香港のように日本政府のトップが中国共産党に置き換わった場合を想像してみましょう。

「なんで国が表現の自由や学問の自由を規制するんだ!」
と日本人が抗議したところで、
「いやいや、あなたがた日本人自身が政府介入による自由規制を大賛成した前例があるじゃん」と法的に言われ、ぐうの音も出ないまま自爆するからです。

日本国内で反日的だの左翼だのと決めつけて弾圧してヤッター!と喜んでいるのは短絡的。

すでに外資系の投資家が大半を占める日本で、日本への自由規制を強めれば「トップが日本人にとって都合の悪い人」変わった瞬間に「しめしめ」となるのです。

重要なのは、今のメンバーや作品の人選や内容ではなく、「悪しき枠組み」という前例を作ってしまうことなのです。

例えば、サッカーで監督が選手を決め、国が「この選手は気に食わないから殺せ」という介入があったらどうでしょうか?
その選手を気に食わない人や、敵チームにとっては嬉しいかもしれません。
しかしサッカーのルールすら無視して、好き嫌いだけでそんな前例を作ってしまえば、怖くてサッカーすることもできません。
自分が気に入らない選手が迫害されているうちはいいかもしれませんが、国の方針が変わった場合、今度は自分が迫害されるのです。
その枠組みを支持していたのは他ならぬ自分自身になるのです。

政府が行うのは形式的任命のみ

このように過去に中曽根首相でさえ日本学術会議について形式的行為と言っています。

つまり天皇陛下が内閣総理大臣を任命するように、すでに決まったあとの形式的な任命であって、政府が介入することではありません。

例えメンバーが誰であろうと、気に入っていようといまいと、任命するのが仕事だからです。

しかし今回は介入してきました。

これは京大滝川事件や美濃部達吉の天皇機関説事件を彷彿とさせます。


学問の自由を侵害した京大滝川事件や美濃部達吉の天皇機関説事件とは?

滝川事件とは、1933年、京都帝国大学法学部の滝川(瀧川)幸辰(ゆきとき)教授がおこなった講演やその著書が自由主義的であるなどとして、当時の鳩山一郎文部大臣が滝川教授の休職を決定したことから始まった思想弾圧だ。

この国の決定に対して、学問の自由や大学の自治を侵害などとして、法学部は抗議、教官全員が辞表を提出し、学生やほかの大学、メディアを巻き込んだ政治事件となった。

明治憲法に「学問の自由」を保障する規定は存在せず、そうした中に起きた滝川事件は学問に対する政治介入の歴史として知られる。戦後は滝川事件などへの反省から、憲法23条で「学問の自由」が定められた。

日本学術会議への”政治介入”は「令和の滝川事件」? 憲法が「学問の自由」を保障する理由|弁護士ドットコムニュース
https://www.bengo4.com/c_23/n_11807/

「憲法の自由」という中学生レベルでの基礎すらも知らない政府。

「京大滝川事件」や美濃部達吉の「天皇機関説事件」も、歴史の授業で習うはずです。

日本学術会議への政府介入を支持してる人は中学生以下かなと感じざるを得ません。

この政府介入の流れから、数年後に軍国主義が台頭して日本は敗戦へと向かったのです。

政府の規制や介入を支持して喜ぶ人たち

この政府介入を支持する手口。

日本学術会議の学問の自由への政治介入を支持して喜んでるのが、
漫画やアニメやコミケや芸術祭典で表現の自由規制して喜んだり、ゲーム規制して喜んでいる人たちと手口が同じなのです。

政治介入を支持すると必ず墓穴を掘る末路になります。

あいちトリエンナーレ2019を叩くと墓穴を掘るワケ~あいちトリエンナーレの裏側~


保守を自称するならプロイセン憲法を守れ

この問題はリベラル左翼だけでしょ?
とポジショントークをする人がたまにいます。

むしろ本来の日本の保守派ほど政府介入に反対しなければなりません。

なぜなら「学問の自由」自体が、保守派が重んじている明治憲法の規範のプロイセン憲法の頃から重んじられているからです。

日本国憲法は「学問の自由」をわざわざ定めたのか。

明治憲法時代に起きた滝川事件や天皇機関説事件(1935年)への反省があったと『憲法』では指摘されている。天皇機関説事件とは、憲法学者の美濃部達吉の著書が発禁処分とされ、公職も追放されたもの。国家を法的に一つの法人とし、天皇はその最高機関として位置付ける天皇機関説は、政党政治に正当性を与える学説で、美濃部はその主な論者だった。

こうしたことから、現在の憲法23条は「学問の自由ないし学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである」という(『憲法』)。

なお、明治憲法の範となったプロイセン憲法において、学問の自由は保障されていた。

日本学術会議への”政治介入”は「令和の滝川事件」? 憲法が「学問の自由」を保障する理由|弁護士ドットコムニュース
https://www.bengo4.com/c_23/n_11807/

アメリカのような資本主義国家でさえ、このように国が自由を保障することを保守(古典的自由主義)=右翼と呼びます。

自由を保障してくれる国、自由に介入しないと言ってくれる政府だからこそ、愛国心を持つのです。

それを真似た日本なので、右翼だろうが左翼だろうが、学問の自由への政治介入は反対していないとおかしいのです。

中国共産党や北朝鮮のように、増税と政府介入による独裁や全体主義を好むのであれば、別ですがという話です。

学者で学問への政治介入を支持する人がいたら中学生以下の知能だと思っていい

さすがに学者で日本学術会議への政治介入を支持する人はいません。

日本は「法治国家」だからです。

中学生レベルの超基礎で習います。

学者でなくてもその人が「憲法の自由って知ってる?」というのが「基礎学問を学んだかどうか」が分かる良いリトマス紙になっています。

もし知らないなら小室直樹先生の憲法原論を読むことをおすすめします。


好き嫌いではなく形式的な問題、法律的な問題

去年のあいトレにしても、今回の日本学術会議にしても、好き嫌いの問題ではない。
形式的・法律的な問題。

そして表現の自由、学問の自由。
これらの憲法の自由に、政治介入していることが問題。

自由な市場への介入はそもそも禁止されている。必ず悪しき結果になる。
感情的・短絡的になって、その先にある統制→規制→増税という政治の罠に気付けない。
政治介入を支持すれば、官僚の手のひらでまんまと踊らされているだけ。
「木を見て森を見ず」の人は改めるべき。
物事の「大局を見る」重要性。

(参考)
日本学術会議会員の任命拒否について私の考えるところ

大臣の各省庁への介入と何が違うの?

例えば、河野大臣の各省庁へのハンコやFAXの撤廃や残業是正の政治介入は良い。
しかし政府の日本学術会議への政治介入は悪い。
好き嫌いや損得で語らずに、この違いが分かるかどうか?
ヒント:憲法の自由

河野大臣の各省庁へのハンコやFAX撤廃。
政府の日本学術会議への政治介入。

前者は公→公への指示なのでOK。
後者は公→公への任命拒否(形式任命するのが仕事なのに、内容が特定研究における人物の迫害)
=憲法の学問の自由の侵害に繋がるのでアウト。

これを「立憲主義」といいます。
中学生で習います。


日本学術会議は民営化すればいい

正直、日本学術会議がどうなろうと知ったことではないことです。
日本学術会議は最終的には民営化すれば良いです。

本来の政治介入とは、特定の個人や分野を排除して学問の自由を脅かすのではなく、
各省庁へのハンコやFAXの撤廃のように、組織全体の構造改革をしていくべき話なのです。

政治で恣意的に特定の研究や人物を貶めていること。これが最大の問題です。

サッカーでいうと敵味方でサッカー試合する以前に、
オーナーが「私が嫌いな敵チームは出場前に殺せ」と言ったようなもの。
ルール違反以前に、ルール無用。
この前例を作ると、サッカーの試合以前に、オーナーの好き嫌いで敵チームは殺されるだけになる。

他にも例えるなら、
学級で指示のもと班を作ったのに先生が特定の個人を排除した。
合格点に達しているのに学長が特定の個人を排除した。
サッカーの選手を監督が決めたのにオーナーが特定の個人を排除した。

いずれも理由は説明しない。

もしあなたがこういうことをされたらどう思うでしょうか?

ここがすごく問題なのです。

学問研究が萎縮し、政治に都合の悪い成果は潰され、国際競争力もなくなります。

国が表現の自由や、学問の自由を国が規制したいとき、
とりあえず敵国と繋がってると言って、特定個人を攻撃して全体を規制する方法。

これをプロパガンダといいます。

学問や表現に介入してはいけない

日本はコミケという素晴らしい模範の文化があるのに。 大雑把にコミケも学問研究も同じ「アート(芸術・技術)」。 やり方も同じ。

好きなことやる、新規的なことをやる。

これを保障してくれるのが表現の自由や学問の自由。その規制には絶対に反対することは共通認識の大前提。 機会均等で玉石混交になるので中間層が埋まって産業が発展する。 逆に衰退するのは規制や機会損失で中間層が抜け落ちるから。


なぜ世界最高学府は「リベラルアーツ」というのだろうね?

良い悪い以前にアカデミックへの介入はダメに決まっています。

「何でハーバード大学を筆頭とした世界最高学府の大学のアイビーリーグは「リベラル・アーツ(自由な学問)」なんだろうね?」という、
「学問の自由」への中学生レベルの超基礎理解さえ学んでいないから、全体の問題が理解できないのです。

リベラルアーツまとめ~正しい学問体系を知ろう~

敵のスパイがいるというプロパガンダの手法

表現の自由や学問の自由を国が規制したいとき、
とりあえず中国と繋がってると言って、特定個人を攻撃して全体を規制する方法に名前をつけたいとすれば、
→答え:プロパガンダ
です。

学問への政治介入を支持する人を一発で論破する方法

表現の自由や学問の自由に関わることを叩いている人をみたら「立憲主義て知ってる?」という中学生レベルの超基礎のことを聞き返せば一発論破できるます。

立憲主義とは、国は放っておくと規制や増税をして国民を苦しめてしまうので、憲法で縛っておかなければならないという基本ルールです。
政府の統治を憲法に基づき行う原理なので、政府自身がそれを否定するような行為をしてはいけません。
ファシズムになってしまいます。

このような国の原理は海外の方が敏感に理解しています。

英科学誌ネイチャーは8日付の今週号で、「科学と政治の切れない関係」と題する社説を掲載し、新型コロナウイルスの感染拡大や環境問題などでトランプ米大統領ら世界中の政治家が科学的証拠を無視したり、おとしめたりする例が相次いでいると批判。
菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった問題にも触れ、「政治家が、学問の自律性や自由を守るという原則に反発している」と訴えた。
(続き)
その上で、「国が学問の独立性を尊重するという原則は、現代の研究を支える基盤の一つ。政治家がこの約束を破れば、人々の健康や環境、社会を危険にさらす」と懸念

「政治家が学問の原則に反発」ネイチャーが日本など懸念 2020年10月8日 19時08分
https://www.asahi.com/articles/ASNB863Y1NB8ULBJ009.html

本来は組織への行政改革。特定個人を排除しているので問題。

本来は各省庁のハンコやFAXの撤廃と同じく、最初から組織の行政改革で見直すべきことなのだけど、
政治介入で特定個人の排除から入ったのが最大の悪手。立憲主義の学問の自由を自ら脅かし、業界そのものを規制・萎縮させる結果になりました。

例えば、犯罪者が出たら、必死に部屋からアニメグッズをあら探しして「ほらみたことか、オタクは殺人をするんだ。これはアニメやゲームをすべてを規制しなければ。」という世論を作るアレと同じ。一つの事例で全体を規制してしまうのです。
印象操作のプロパガンダ。この方法で規制されたコンテンツは廃れるのです。

パソコンで例えると、エラーが出た時にコンセント抜けばいいじゃん?と抜いてしまったようなもの。
主電源=憲法なくしてどうやってエラーを直すつもりなのか。

裏にある狙い

CSISのレポート通り、いつものアメリカ軍需産業の不良在庫処分→日本が高額買取り拡大→都合のいい根拠を作ってくれる御用学者の育成と軍事研究解禁のための布石が目的なんだろうなとご察し。