思想なんて誰か他人が考えた外的なものに振り回されなくても、
身体性の内的に湧き上がってくる感覚を言語化して説明していく作業のほうが自由度が高い。

そのために読書などで先人の知識をインプットし、体験的に整合させて新規更新しながらアウトプットしていくのではないか。

精神病のリストカットや知的障害の自傷行為が教えてくれるのは、別に死にたいわけではなく、
般若心経でいう眼耳鼻舌身意・色聲香味触の「六根五感」が「無」になると身体性の「痛み」に生きてる安心感を得て、自身の実存を自覚せざるを得なくなるから。無明。

逆に身体感覚を言語構造で組み上げる必要がある。