発達障害的な会話の違和感に気づくこと

例えば、りんご農家が増税で潰れそうな社会問題が提示され、「りんごを守ろう」というのは「りんごは赤い」という、映像で先行インプットされた文字面の「自分の世界観」への固着・保守であって
青りんご農家が現れたら「そんなやつは潰れろ」とパニックで激昂する。

発達障害的な会話の違和感


この発達障害的な会話の違和感。

りんごの中には青りんごも含まれますよ、ということが自閉した局所解なカテゴライズにより理解されず、文字列の整合性に固着してしまい、論理構築まで上がってこない。こだわり故に社会的な困難さが生じる。

文脈で定義づけされた概念を可視化させて視覚的に共有できればと本当に感じる。

例えば、「増税は問題だよね」という話を「私はペンで紙に税と書いたら書き順は合っていた。つまり正しい。ヨシ!」みたいな。
「何言ってんだコイツ…」となる。
脱自己中心化されてないゆえに、社会化させてない自分の世界観だけの「合ってる」が「正しい」と混同されて齟齬を生む。

これが双方に生きづらさを生む。

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