なぜ何度もプレゼントし続ける人は危険なのか?~自己承認と見栄のチキンレース~

心理学・精神医学

他人に贈り物やプレゼントをしすぎてお金がなくなって困窮してしまう・・

そんなことってありますよね。

私の亡くなった家族も全員そうでした。

シャディ・サラダ館に預貯金全額をぶっ込んで友人親戚にプレゼント贈りまくって、家族の生活費や本人の葬儀代がなくなりました。

死期が近づくと「自分の存在を承認させよう」とするのです

その時から個人的にシャディ・サラダ館はパチンコ屋と同じ程度の位置づけになりました。

当たり前ですが、プレゼントや贈り物をすることは良いことです。

そしてそのプレゼントや贈り物にお礼もするのは良いことです。

しかし我が家の場合、「見栄」が動機になっていたので、プレゼントのプレゼント返しがどんどん高額になっていきました。

サラダ館から割高にお中元やお礼を贈り、相手からお返しをもらいます。
それだけなら良いです。

しかし更にお返しのお返しで、どんどん高級品チキンレースで掛金が上っていくのです。

預貯金が尽きるまで。

プレゼント屋がパチンコ屋と同じくらい危険な存在に

私は「サラダ館プレゼント沼」と名付けました。

沼のように底なしにお金を貢(みつ)ぎ続けるからです。

老後の「サラダ館に行きたい」は「パチンコ行きたい」と同じ程度に聞いて危険視していました。

知らない人にも贈り始める

例えば祖母は最終的に、顔も名前も知らない親戚の親戚の子どもや、親戚の親戚の知人の誕生祝いや、葬儀見舞いまで出していました。

もはやサラダ館は旧約聖書で神がイスラエルの民に与えるとした約束の地でした。

プレゼントの民から全預貯金を巻き上げる聖地でした。

生活費や介護費を失った家族は地獄を見たのです。

まとめ

この根底には「自己承認欲求」と「見栄」があります。

他人に「自分はいい人と見られたい」という人は、同時に「相手を操作してやる」という操作性を持っています。

行動では良いことをして、動機では相手を操作する目的。
心理学では「行動操作」や「ダークトライアド」と呼ばれます。

社会に対してこの行動を取る人は、当然、家庭でも「〇〇したらあなたを愛するよ」と「条件付きの愛着関係」を作ろうとしています。

いわゆる子どもの良心を利用して「逆らったらあなたは悪い子」「言うこと聞くのが言い子」と、スプリッティング(分裂)させています。
子どもは「悪い子に思われたくない」と奉仕して従ってしまいます。
毒親に多い傾向です。

本来であれば、人生の早期に「他人に認めてもらえなくても自分を認める」「見栄がなくても生きていける」ということを知らなければなりません。

しかしそれがないと老後に自分が死ぬ頃になると「私の生きた証を残そう」としてその手段として「贈り物」で操作するという行動をしてしまうのです。

アルティメット世帯主が消した給付金

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