話の「系」の閉塞感~自分が「知っていて」「好き」=「正しい」わけではない~

【あるある】
1.導入
2.実際の運用やコストではなく「歴史や技術のすごさ」へ話のすり替え。リスクとデメリット矮小化。
3.自己愛の投影同一視。権威従属の認知バイアス「そのこと知ってる私はすごい!だから権力と私は正しい!」←すごいのと正しいのは別。
4.実運用で大失敗と周りを巻き込んで大損

これが本当によくあるのです。

話の「系」の閉塞感

例:ミリタリ界隈でよくある会話の「系」の閉塞感。
1.地政学や国際法や戦略の話なのに
2.一つの武器や兵器の技術や歴史解説になる
3.それ知ってる俺すごいになる
4.それ持ってる国すごい俺も正しいになる←すごいと正しいは別。

地政学や戦略の話なのに
→この兵器がつえー
→使ってる政府がつえー
→俺つえー
→だから政府が正しい!←??
という大人の発達障害あるあるの「話が矮小化して自己愛で回収する会話展開」になりがち。

子どもが「銃つえーこれ持ったら俺が世界の支配者になれるぅー俺つえー」

この会話パターンの失敗談が発達障害に往々にして典型なのは、外界にコミットしてそこから自己愛を汲み上げようとしてしまうので。
なんだか話題の「系」が閉じていってしまう。

自分が「知っていて」「好き」=「正しい」わけではない

「〇〇の自由を守ろう」は大切なのですが、
「インボイス」「統一協会と政治関係」「国葬」など
「自由」と歴史的にも完全に敵対する真逆の上位問題が出てきたときに、押し黙るどころか、あろうことか賛成する人が多々いたのは
脳内で別々フォルダに認識されて、統合されていない欠陥だろうな、と。

好き=良い=知ってる=善
嫌い=悪い=知らない=悪

という個人の主観的な感想という幼稚なフォルダがあって、そこへシュートされていき、そこで集客して注目賞賛と承認欲求を満たそうとするので、おかしなことになるのです。

問題を統合して抽象化と社会化させる大切さ

何においてもKJ法やブレインストーミングのように、問題を統合して抽象化と社会化させていく過程と、逆に分解して矛盾なく具体化させていく相互可変の思考訓練は大切だなと感じました。

カウンセリングでは話を自己愛で回収してくれたほうがそこに問題の核心があると分かりやすいのですが、
組織の会議でこの幼児性を発揮させ、それを周りがヨイショヨイショとあやしてかつぐと、誤った意思決定の下でみんなすっ転んで、空気パワーに逆らえず鬱に悩まされるのです。

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