伊達政宗が妻木頼利と細川忠利に宛てた書状の真相
政治経済・近代学問
2024.01.12
江戸時代の寛永12(1635)年に政宗から旗本の妻木頼利に宛てた書状と推定した。
文書は現代語訳で「3月16日朝、(戦国大名の)細川忠利が(江戸にあった政宗邸を)訪問するので、先約がなければ妻木もご一緒しないか」との内容。松尾氏は「妻木氏は大名ではなく(石高が)7500石の旗本で、政宗は62万石の大名。細川忠利も肥後熊本藩54万石の初代藩主であることから、政宗が家格の違いを気にせずに、交流していたことがわかる史料だ」2024年1月11日
伊達政宗の書状、新たに見つかる 妻木頼利宛て、細川忠利と交流も
・徳川家光の将軍就任すぐ
・わざわざ細川家絡みで妻木氏を選ぶ明智光秀ドンピシャ
「春日局」暗躍
本能寺の変で細川氏と徳川氏が明智氏を見捨てて豊臣政権まで微妙な関係になり
徳川家光の母である春日局(明智光秀の近縁)を立て、重鎮の伊達政宗のもとで仲直りしませんか?の「春日局」暗躍を感じられる。
1635年だと徳川家光の幕府できたて。本能寺の変から53年ほど経っているが、
明智光秀の母方の妻木氏に、重鎮の伊達政宗を立てて細川と妻木で仲良くしませんか的なことやっているのが、
家光の乳母(実母だろう)の春日局(父の斎藤利三、明智光秀の縁戚)の背景がもの凄く感じる。
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