抑圧したものは
投影します。
だから嫌でも現実を直視して暴露しないといけないのです。

「直視しなければいけない現実」とは、社会的に劣る現在の立場とか、見苦しい経歴とか、怠惰な自分とか、不細工な顔とか、そんなものではないです。

それなら、すべて言いたいことを露悪すればいいのか?それも違います。

「暴露した時になぜそれを嫌だと自分が思ったのか?」という内観です。

自分が嫌なもの、抑圧、それに反応してしまうという心性を植え付けた親と自分の反応。その原初的な起源です。発掘すると吐き気を催すほどの抵抗です。

例えば、
あいつが嫌いだ、あいつはブサイクだ無能だ、自分はこれが嫌だ、これは暴露です。
なぜそう思ったのか?を洞察すると、自分の嫌いな部分が相手にあるから以外に理由はないのですが、それを多くの人は認めようとしません。
「あいつと自分が同じわけが無い」と思うからです。

これを克服するためには「自らの行動により自分の過去を上書き保存するしかない」のですが、自分の弱さを認めたようで怖くてそれが出来ないのです。

いくら忌避したり抑圧しても、何歳になっても、職場や環境を変えても、宇宙の果てまで行ってもなお「こんにちは、またどうも。あなたこの乳幼児期からの宿題を忘れてるよ。」と首をもたげて外的問題として表出してくる。

嫌でも自分自身と内観して向き合わなければいけない。永劫回帰。