この画像はすごいです。一発で「日本教」の本質が分かります。いくつもの問題が折り重なった多層レイヤー構造になっています。

→明治神宮、初詣は「例年の半分以下」 年越し参拝取りやめ、異例の元日 – 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20210101/k00/00m/040/104000c

一体どこがすごい写真なのか?

結論から書くと「誰に従っているのか分からないのに、従っている」からです。

この写真には3つの謎があります。
1.彼らはなぜ無宗教で無神論であり、しかし共産主義者でもないのに神に祈るのか?
2.天皇(神社)の権威を崇拝しているとしたら、なぜ政治の警察権力に従って並んでいるのか?
3.その国の権力も「外出は極力控えるよう」に言ってるのに、初詣の行動慣習(エートス)が先行して外出しているのか?


この写真は美しいのか?異常なのか?

写真では参拝者はしっかりとマスクを付けてソーシャルディスタンスを守っています。
これは素晴らしいことです。
日本人の感覚だとこの統率を「美しい」と感じてしまうのです。

これを「空気」を信仰する「日本教」と呼びます。

しかし海外の感覚だとかなり「異常」なのです。

それはマスクを付けてソーシャルディスタンスしていることではありません。

何に従っているのか分からないからです。

1.彼らはなぜ無宗教で無神論、しかし共産主義者でもないのに神に祈るのか?

日本人の大半は無宗教で無神論者です。

日本以外の国で「無宗教、無神論者です」なんて言えば、それを原理とする共産主義者に結び付けられます。徹底した唯物論で科学的な世界に生きているからです。

しかし日本人は受験や初詣等で形式的にイベントで神社へお参りに行ったり、ご飯の時に「いただきます」と祈りを捧げたりします。

まず何に対して祈っているのか分からないのです。

仮に神道で天皇(神社)を崇拝していたとしても、次の問題が起こるのです。


2.天皇(神社)の権威を崇拝しているとしたら、なぜ政治の警察権力に従って並んでいるのか?

仮に神道で天皇(神社)を崇拝していたとしても、政治の警察権力に従ってルールを守ろうとしているのはおかしいです。

無宗教で無神論でも神社仏閣に行き礼拝して、国家や警察の権力にも従うという「空気」がそうさせています。

例えば、日本人の中で、
神様と天皇と国家とコロナで誰が一番偉いのか?
誰に従っているのか?

こう聞くと序列がわからないでしょう。

本来であれば個人の信仰が優先されるので、コロナ<国家・警察<天皇(カミ)でしょう。

なので信仰をする場で、それより下の別に警察やコロナのルールに従わなくてもいいはずなのです。

おもしろいのはその国家や警察は「外出するな」と言っているのです。

3.その国の権力も「外出は極力控えるよう」に言ってるのに、初詣の行動慣習(エートス)が先行して外出しているのか?

緊急事態宣言において初詣では国の権力も「外出は極力控えるよう」と言っていました。

仮に信仰心が強くて「そんなこと知ったことか」と無視したとしても、逆に信仰する場で国家や警察の言うことを聞いているのがおかしいのです。

それを突き動かしているのが特に根拠のない「空気」ということが分かります。

通常「空気の支配者」は表には出てきません。

しかしこの写真には、コロナを通じて「空気」があぶりだされているのです。

まして1920年創建の明治神宮というのも最高に風刺画になっています。

明治神宮は明治天皇以降の神社であって歴史が浅いです。
伊勢神宮や出雲大社のように古くからの日本の古神道とも関係が浅いのです。

そこで「日本の古来からの…」と何か思いを馳せるのが謎なのです。

一体何に対して祈りを捧げているのか。従っているのは何なのか。

すべての矛盾をはらんでいるのに、同調と慣習に動いてしまう「空気」。

あらゆる疑問と風刺が渾然一体となった「名画」。

新年早々、写真大賞級の良い絵が見れました。

空気の研究者の山本七平もジョセフ・ナイもいろんな意味で感激しそうです。

「甘え」と「空気」の心理学