NHKや電波利権批判等、初手でインテリ層からも知的共感されるインフルエンサーはいるが、すぐ逆に行政官僚制や増税や人権侵害の「公的→私的」を支持し、せっかくの知的信頼を失う現象。
おそらく「公的←私的」の正しい基本の合法批判ベクトル分かってなくて初手は勢いでまぐれ当たりしたのだろうなと。

次の段階で真っ当に「公的なほど法を守ろう」と「公的←私的」で合法的な指摘をしている人に対して
明らかに公的な話題なので自分も関係あるのに「私は関係ないけど。」と予防線を張りながら「指摘する人を批判する人」が「私的→私的」のもっと重罪な人権侵害の私刑になってるのに無自覚な人が多い。

高齢者や奨学生や障がい者や生活保護受給者などへ攻撃対象を向けている人もこれと同じで。
楽して肥え太った自己愛から、なぜか自分だけ権力サイド目線。上から下へ攻撃ベクトルを向けてしまい、軽々と人権侵害になる。問題提起の方向性が逆。

ハラスメントやいじめ犯罪にきづける人がなぜ「自由権の人権侵害の思想」に気づかないのか?

パワハラやセクハラやアカハラや過労など労働問題にも敏感に気付ける人が、
それらの問題から守ってくれる三権分立や基本的人権や各自由権をぶっ潰す主張に賛同してるパターンが本当に理解できない。

今でもハラスメントや暴力、賭博、覚醒剤、売春、詐欺の危うさは分かるのに
自称理系で疑似科学批判やスピや陰謀論叩きしている卑しい人でさえ
政権の「霊感商法やカルト宗教」の批判をしない謎。ノーガード。

「自由権の人権侵害の思想」で気付かないのかと。弁護士団や大学教育関係者が怒る理由。


権力と結びつく宗教を自由に許してはいけない

「ホワイト化」(私は純粋潔白無垢です)
「リベラル化」(みんな自分らしく好きにすればいい)
近代以降は「国家権力を憲法縛りでホワイト義務化することで、国民側がリベラル(自由)の権利」を得る。
「国家権力は自由に、国民はホワイトにしろ」と逆になったら権威全体主義の警察国家。

ハラスメントや差別に「権力サイドは自由にやっていい。やられた側はホワイトに振る舞って文句言うな」→「ダメに決まってんだろ、権力サイドがホワイトになれや」と敏感に人権侵害に気付ける人が増えてる昨今。
権力とカルト宗教の問題も同じ文脈に乗らないといけない。

SNSの細分化されたクローズドコミニティでさえ、他人へホワイト化を求めながら自分だけは自由に他人を侮辱して許されようとする、幼稚な値踏みの横暴さに人が去って瓦解するのが典型で。
権力と宗教が結びつくと「権力の横暴も自由に許そう」の主張に必ず矛盾が起こる縮図を肌で感じることができる。

「ホワイト化」と「リベラル化」を両立する悲劇