昨今インボイス制度で問題なかった論を今も繰り広げてる人みると「私だけは大丈夫だった」→「何が問題?私は大丈夫なのに?」という想像力欠如の自己愛性しかいない。
こういったビジネスでの相互取引の損害を計算も想像できない自己中のほうが、信用リスクで取引相手から排除した方がいいと感じてしまう
自己愛から対象愛への「外部対象化と外界の内在化」が、幼少期から行われていないので
課題に対して「あなたが大丈夫かどうかなんて、周りは死ぬほどどうでも良くて、会社集団の抱える全体課題が、客観的に解決できるかどうかにフォーカスしたいんですよ」
という基礎的なことが何歳になっても分からない。
自己愛だけで生きている人は課題解決に焦点が向かない
自己愛だけで生きていこうとしている人は
「私だけは大丈夫」→「何が問題?私は大丈夫なのに?」→「その程度、私でも誰でも出来る」
と理性ではなく、幼少期の母親の保護下の万能感のような、幼稚な自己愛パワーだけで回そうとするので
一生かかっても課題解決に焦点が向かない。必ず破綻する。
むしろ知的障害や発達障害に「無垢さ」「あどけなさ」「純朴さ」にヒトの本質を感じることはできる。
ドストエフスキーの「白痴」やカミュの「異邦人」のように。
一方でそれが前頭前野で思考される理性合理主義とは対極にあるので、狩猟狩りではなく、社会集団になったときに整合性が取れなくなるのだ。
外界を内在化できずに裁判してしまう、自己愛が外的に対象化されていない
話の「系」が閉じていくコミュニケーションは、
・外界を内在化できずに裁判してしまうパターンが多い
なぜ内在化できないかは先天性、後天性と多岐にわたるが
共通項は
・自己愛が外的に対象化されていないので、自分の身体感覚と感情からしか理解できない
「それはどういうことなのか?」という外界への疑問を投げることはなく、
自らのサンプル数1の体験談のみで片付けようとする。
幼少期に脳発達で固着してしまった故の自己愛の執着ゆえに、過去の自己愛が漏れ出さないように必死に止めている印象が分かる。
なので喜怒哀楽の感情すべてを抵抗感で「キモい」と包括せざるを得ないほど語彙力は乏しく、
「臭い」「まずい」「痛い」と五感すべてにネガティブな解釈して
「周りが悪い」と、同時にその不快感情の自己承認欲求を求める。
例外なく低IQの境界知能傾向に属しているが。
国のやることを追従支持するから自己矛盾する
冷酷に言えば、何を言われようとも、出来るだけ経済のお金の儲かる話にシュートするよう提供すれば実用的に有益なので良いのだけど
どう照らし合わせても、国の規制や税金の悪用のほうがそれを阻害しているので、その話題の方へ目が向く。
拝金主義者は、同時に自己愛的に権威主義であろうとするので、
国のやることを追従支持するから自己矛盾するのだろうなと。