ざっくりいうと
←脳(物理原因) 心(環境原因)→
という歴史的な背景の綱引きで、精神科だけだと「環境は悪くない、全てあなたの脳が悪い」と必ず薬物療法へ帰結するのを日本の心理学者の先駆者の河合隼雄氏は懸念していた。

公認心理師のように心理士を精神科医の下に位置付ける(医療保険報酬の範疇で動く)と環境アプローチができなくなるから。

このため臨床心理士を大学院修士以上にし、いずれ国家資格化して均衡を保とうとしていた。
文科省の名称独占の「士業」の森喜朗元首相をトップにやってたが、業務独占の「師業」の医師の厚労省には敵わず。
厚労省主導で公認心理師が医師の下に出来てしまい、Gルートだの利権開拓に侵略されて破綻した

環境が脳へ影響を及ぼすということが周知されてなかったので。
例えば、虐待事例があったら「それは虐待された側の脳が悪いよね。だから、ホイお前、先天的な知的障害者」と自己責任化した時代が長すぎた。

今だと「毒親」「親ガチャ」「虐待」「パワハラ」という単語が象徴するように
「環境のせいで精神病や障がい者になっちゃったよね」は周囲の理解を得られるが

何十年も前は「親は絶対正しい、先生は絶対正しい、上司は絶対正しい」が信仰にあり「逆らうのはお前の脳が悪いから」と非情に潰していた。


発達障害なのに、知的障害や精神病にされてる誤診断が連発された時代

今の知的障害者施設や精神病院の高齢患者を見ても分かるように、
明らかに今なら発達障害なのに、知的障害や精神病にされてる誤診断が連発された時代を感じる。
「そりゃ当時の医療・福祉の現場の人は、国(医師)は障がい者への理解が足らないと怒るよね」と納得できる。

なぜ6年課程で専門が必要なのか?

世界学問価値リベラルアーツの視点なら、大学4年の「基礎科学」(自然科学・社会科学。人の役に立つかは関係ない)の上に、
専門学校で習うような専門の「工学」(人の役に立つことに特化)が乗っかるので
医学部は6年に内含、心理学(理学の派生)なので2年の専門が必要になる。
これが日本人には分からない

記号言語学、情報学と発展する中で「文科系、理数系」という世界で存在もしない(どころか前近代以前の分け方)、日本独自の分け方も消え失せてきて本当に良かった。
情報工学となったり、数学だらけの経済学が行動経済学になったり、本来は理学の下である心理学で統計学やる意味が、分かってきただろう

私の先生の先生の成瀬悟策・医学博士も、古典心理学の催眠面接や教育催眠から生やし、臨床動作法に至るまで尽力されたが、
当時は「ホイお前、知的障害、精神病」の誤診からの薬物療法ばかりで
環境で「ストレッチ運動すれば体が温まってストレス軽減するよね」も世間に理解されなかった。


師会は分散投資が大切

2009年の民主党政権交代時に、文科省系の「士業」の資格は、心理や福祉系も含めて全て自民党・清和会の森喜朗元首相をトップに繋がっていたので学会の議員が入れ替わってお伺いを立てるのに大変だった。四師会も。
自民一本投資だけで、リスク分散投資してないと後で大変なことになるんだと。

例えば、四師会でも医師会と看護協会は自民党ど真ん中の中核支持母体であるが、薬剤師会と歯科医師会はそうでもないので、ジェネリックや保険点数下げで不遇にされてることが多い。

臨床心理士が淘汰されて公認心理師に仕事を食われる過程

臨床心理士が淘汰されて公認心理師に仕事を食われる過程は、医師の業務を特定医療行為として看護師や救命士や放射線技師にさせる「業務の切り崩し」をさせて、それを利権化してお金を支払って修了させた者のみ「認定」と名付けていく。診療報酬の枠組みで儲けるため。