2019年8月~10月中旬まで愛知県で開催された3年に一度の日本最大の美術祭典「あいちトリエンナーレ」がありました。
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あいちトリエンナーレ2019~愛知芸術文化センター&名古屋市美術館&四間道・円頓寺編~
あいちトリエンナーレ2019~豊田市美術館・クリムト展~
無事に終わって本当に良かったです。
この「無事」というのは、特に「表現の不自由展・その後」を再び復活させるという最後の一週間でした。
あいちトリエンナーレと嫌韓を利用した日本人を規制する一連の流れ
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あいちトリエンナーレ2019を叩くと墓穴を掘るワケ
でも書きましたが、
政府・マスコミを通した一連のあいちトリエンナーレ叩きは、官僚が「日本人の表現規制したい!」「税金取って不景気にさせたい!」「検閲して取り締まりたい!」と最大目標が裏にあったからです。
その口実の嫌韓に乗せられると自分たち日本人の首を絞めることになったので「静観」が正解でした。
材料は何であれ、叩くと100%墓穴を掘って自分が損する仕組みでした。
政府・マスコミ「あいちトリエンナーレで韓国の平和像が展示してある!これは反日的で良くない!」
国民「そうだそうだ!」
←そうかもしれないなぁ…
政府・マスコミ「だよね!展示禁止しよう!」
国民「そうだそうだ!」
←お互い表現の自由があるし、一つの展示に連帯責任でそこまでしなくても良いのでは…?
政府・マスコミ「そうだね!日本人への表現の自由の規制が大切だ!」
国民「そうだそうだ!」
←オイオイオイ。ちょっと待て。
政府・マスコミ「交付金禁止!国民から集めた税金なんて配らなくていいよね!何の検討会議もしてないけど政府の気分で禁止していいよね!俺たちが使うから!」
国民「そうだそうだ!やったー!」
←あちゃー。完全に乗せられてるわコレ。
そして根拠なき交付金禁止という異例の事態が起こりました。
韓国を叩いて悦に入っているつもりが、途中から日本人が規制される方向へ論理がすり替わっていたのです。
あいちトリエンナーレ叩きでアホみたいに大賛同していた人たちは気付かなかったでしょうが、この前例は他のことにも適応されてしまうのです。
例えば、
日本の大学の有益な研究でも政府が「これは既得権益以外の研究だからお金を出さない。」と打ち切ったり、
日本の公的な行事で旭旗(あさひばた)やナチスドイツのハーケンクロイツらしきものを見つけて行事を禁止させたり、
日本のコミックマーケット(コミケ)の本のある一冊の一コマの表現で「反日的なもの」と政府に解釈されたらコミケそのものが停止させられたり、
これは戦時中の最大悪法「治安維持法」と全く同じものです。
「検閲」(けんえつ)という、中国共産党や旧社会主義国がやっていることと全く同じことを、現日本政府はしたのです。
あいちトリエンナーレを叩いていた人たちは、自分たちが沈没船に乗せられていること、ミイラ取りがミイラになっていることに気付いていないのに驚きました。
嫌韓で釣って、表現の自由叩きから日本人規制しようとする官僚の戦略に気付かない人が多いのに驚きました。
ブーメランになるのに便乗叩きする抽象思考の低い人を判断するリトマス紙になっていました。
なぜ日本は日本人を規制したがるのか?
なぜこんなことをするかというと、日本は政府の国会議員の上には、税金で生きる官僚・公務員がいるからです。
官僚は基本的には東京大学法学部のエリートです。
本来は官僚は国会議員のサポート役です。
国会では、増税にするにしても、減税するにしても、法律が必要です。
しかし国会議員に法律を作れる立法能力がないので官僚に頼りきりです。
今では行政官僚制といって、官僚が国会議員よりも上に来ています。
各省庁の官僚のトップは「事務次官」と言います。
「次官」という呼称なのは、本来のトップは国民から選ばれた国会議員の「大臣」だからです。
しかし実質、法律を作れる官僚の事務次官が、どの政党になろうとも国会議員の上にいます。
なので首相も含めて操り人形の国会議員に「規制しましょう」「増税しましょう」カンペを渡して国会で読ませ、自分たちの給料である「税金」が上がるような増税法しか作りません。
税金で生きる官僚・公務員にとって、自分たちの給料である税金を上げるためには「規制」「監視」して、そのために税金が必要だよね、という増税の論理にもっていきます。
「規制」「監視」に日本国民を誘導するためには、材料は、韓国だろうが、中国だろうが、ゴミのポイ捨てだろうが、虐待だろうが、災害だろうが、ご飯が不味いことだろうが、タンスの角に小指をぶつけたことだろうが、何だって良いのです。
最終的に「よし!私たちが規制してあげるよ!税金をくれ!お金くれ!」という結論になれば良いのです。
良くも悪くも台風
あいちトリエンナーレが再展示された10月の最後の一週間。
不謹慎かもしれませんが良くも悪くも台風が神風でした。
このときの世界情勢として、10/10が朝鮮労働党創建記念日だったからです。
いつものパターンだと北朝鮮が偶然(棒読み)にもミサイル飛ばしてマスコミが「北朝鮮やばいー!」「日本やばい~!」と煽ってくるタイミングです。
「うわーっ朝鮮こわいー、あいちトリエンナーレとんでもないー、アメリカ様助けてー」で更なる円高ドル安の利ざやで日本に損させて稼ぐ予定だったのだろうなと相場を見ていて感じました。
ちょうどイギリスのEU離脱(ブレクジット)で円買いが進んでいたので、ミサイルを日本に飛ばして、リスクを煽って円キャリートレードの戻り買いを助長させるのに良いタイミングだったからです。
平たくいえば「欧米が不景気なので、日本にもっと不景気になってもらってガス抜きしよう」と海外の機関投資家が思惑していました。
そのとき円高誘導とあいちトリエンナーレも乗っけて、日本も増税不景気のガス抜きするかという流れでしたが、あいにくの台風が良い感じの神風になりました。
河村市長と大村県知事に学んだ日本への愛郷心
あいちトリエンナーレの表現の不自由展が再展示された最後の一週間、名古屋市の河村市長と、愛知県の大村県知事のたち振る舞いには感激しました。
ここでも書いた通り、
河村市長は「大村県知事、なにやってんだ!」
大村県知事は「河村市長、けしからん!なにやってんだ!」
という、
あいちトリエンナーレの反対派の代表としての河村市長、賛成派の代表としての大村県知事という構図を作り出して、
国民・市民の両方意見を吸収していたのです。
反対派からすれば「あっ河村市長が味方してくれてる」、賛成派からすれば「あっ大村県知事が味方してくれてる」となって安心です。
特に河村市長は見事でした。
表現の不自由の再展示が決まった直後から、美術館で座り込みの抗議をしたのです。
天才的でした。
公的な抗議文などではなく、「座り込み」であれば無害ですし、マスコミ向けの絵面としても一発で伝わりやすいです。
庶民的な目線にも立っているように魅せることができます。
一方で市長様が何をやっているのか、という絵面として若干ばからしい感じの笑いも取れます。
何より長年この2人は二人三脚で仲が良いのです。
二人で協力してトヨタを含む愛知県の大企業から億単位でのスポンサー資金を集めての行事です。
「いかにして愛する愛知県・名古屋市を盛り上げるか?」という愛郷心の強い共通目標があるから出来た行動でした。
もしこれがなければ、日本を潰したがる官僚の言うことを素直に聞いて、あいちトリエンナーレを即刻中止することもできたはずです。
それをしなかったのは日本への愛郷心があったからです。
「もう一つ上の段階」が予測できていた河村市長と大村県知事がすごい
小さな目線では「あいちトリエンナーレをどうするか?」という話ですが、
大きな目線では「愛知県・名古屋市でやっている日本の最大美術祭典が平穏無事に終わりますように。」という共通目標があるのです。
しかもあいちトリエンナーレが展示中止になったのは、京都アニメーションのガソリン放火殺人事件があって、同じ予告がされたから。
市長と知事とっての最大の懸念としては「あいちトリエンナーレが中止」されることではなく、「テロリストのような人物が、市民を殺しまくる。」という事態でした。
しかし河村市長が先手を打って座り込みしてくれているおかげで「それ以上のこと」は起こらないのです。
これで大村県知事が「河村市長なにやってんだ!」と注意する程度に留めることで、あとは大村県知事の意向通りに安全に開催できます。
本当に2人とも賢かったです。
なぜ「対立をあえて見せる二人」が同時に頭が良いと言えるかと言うと、二人とも「もう一つ上の段階」が見えていたからです
この仮想プロレスも(不謹慎ながら)面白かったです。
頭が良いと見直しました。
立場上、意見を吸い上げて身体を張って対立を演じて民衆に魅せないといけないのが大変だなと感じました。
「権威」と「権力」を分離させるメリットを利用しよう
一度トップになるとヘッジファンドみたいな両建ての立ち回りをしなくてはいけない時があります。
その際に言えないことが多くなる分、理解者が少なくて寂しいという気持ちになるのはよく分かります。
日本は「天皇」が「権威」、「政治」が「権力」の分離の体制です。
明治維新の時のように権力(政府:公武合体)が増税(年貢)や規制ばかりで腐ると、権威(天皇:尊皇攘夷)を背負って転じることがあります。
あいちトリエンナーレでの市と県の立ち回りはこの論理をうまく応用していました。
官僚のプロパガンダが仕掛けられた時、このように自分たちも敵と味方に分かれて、権威と権力の仮想敵を作ってプロパガンダすれば、煙に巻くことが出来るのだと改めて学ばさせていただきました。
本当に学びの多いあいちトリエンナーレ、楽しかったです。
3年後も津田大介さんに美術監督をお願いしたいと感じました。