「明日から仕事だ・・」「明日、学校だ、仕事だ。嫌だ・・」「もうつらい・・死にたい・・」。
日曜日や休み明けになるとこのように悩みます。
ただこういうときは行ってみたら大したことなかった、ということも多いです。
人間はリスク回避の本能により、妄想のほうが現実よりも悲観的に誇張させます。
しかしそれでも一週間はつらいもの。
私自身がそんなときに思っていた一週間の解釈を紹介します。
一週間を苦なく短く錯覚させる方法
無心の月曜
始まりの火曜
週中の水曜
最後の木曜
惰性の金曜
と思うようにしています。
・無心の月曜
月曜日は何も考えずに行くことだけを考えます。何があっても何も考えないことにします。
準備体操くらいに考えます。
・始まりの火曜
週の始まりは火曜日と考えます。日曜日の夜よりは腰が重くなくなります。
・週中の水曜
週の真ん中と考えることで、もう週の中間まできたかと感じられます。
・最後の木曜
ラストは木曜日です。この日が最後という気持ちでいましょう。
・惰性の金曜
金曜日は惰性です。何となく行くような気持ちで行って翌日が休みであることを考えましょう。
そもそもなぜ嫌なことをしているのか
しかし本来、一週間の労働は誰が決めたわけでもありません。
時間という概念も日本には明治時代以前は存在していませんでした。
近代資本主義が導入されてから時間に追われるようになったのです。
これをドロモロジーと言います。
重度の自閉症・東田直樹氏が感じる「世界との一体感」とは何か?
30代から医学部に入った医者と、8浪2留して40代から勤めだした医者
いつまでも若くいたいと思いながら、5年、10年・・と時は光陰矢の如く過ぎ去り老いさらばえます。
どこかに自分の居場所があるのでは?
と多くの人は働きながら青い鳥症候群のように隣の芝生を青く見ています。
しかしどこの転職場所へ行っても同じです。
なぜそれが分かるかと言うと、どこへ行ってもその場所に慣れると次の刺激と学びを得たくなるのが人間の本能的な承認欲求だからです。
遅かれ早かれ、自分で立ち上がろうという気持ちが出てきます。
そのために働く中で時間を見つけ、副業を本業にする気持ちでいけば独立起業することなど容易です。