看護師の祖であり、統計学者の祖とも呼ばれるフローレンス・ナイチンゲールは、親族も含めて全員「キリスト教プロテスタントのユニテリアン派」でした。
ユニテリアン派とは何でしょうか?
ユニテリアン派とは?
ものすごく簡単にうと、
キリスト教プロテスタントの中でもユニテリアン派とは、キリスト教の中でも「人」や「カネ」を重視する派です。
金は単に拝金主義というわけではなく、ratioとreason(理性と合理)を重視する派。
人間の理性主義=合理主義=損得勘定=カネ
というのを重視するということです。
ユダヤ教の根本思想はこれです。
そしてキリスト教プロテスタントも「ユダヤ教先祖返り」と呼ばれているのもこのためです。
そのプロテスタントの中でも、ユニテリアン派は特にユダヤ教に近い思想です。
この「人」を重視するのに対して、キリスト教カトリックは「神」を重視する派です。
なぜナイチンゲールは赤十字社の創始のアンリ・デュナンを嫌ったのか?
ナイチンゲールは、赤十字社を創始したスイスのアンリ・デュナンを嫌っていました。
赤十字社のアンリ・デュナンは、キリスト教プロテスタントのカルヴァン派だからです。
カルヴァン派とはプロテスタントの思想の中でも源流的な派閥です。
ユニテリアン派と同じく「人」や「カネ」を重視する派です。
本来、同じプロテスタントのカルヴァン派とユニテリアン派は似ているはずです。
それがナイチンゲールが嫌だったのです。
ナイチンゲールは家柄が代々ユニテリアンだったのに、しれっとキリスト教カトリックに改宗しています。
彼女は自分も統計学や自然科学研究してるくせに「私はカトリックだ」と言いながら、赤十字のカルヴァン派のアンリ・デュナンを嫌ったのです。
この統計学や自然科学などの学問もすべて、本来はプロテスタンティズムからのリベラル・アーツの中で生まれてきた学問のはずなのにです。
最近、私はそんなナイチンゲールに親近感を覚えるようになりました。
プロテスタントのアンリ・デュナン vs カトリックのナイチンゲール
赤十字社の創始者のアンリ・デュナン(スイス人の男性)はキリスト教プロテスタントのカルヴァン派。
看護師の創始者のナイチンゲール(イギリス人の女性)はキリスト教プロテスタントのユニテリアン派。
特にナイチンゲールの親族はユニテリアンばかりでした。
ナイチンゲールはこのユニテリアンの家系に反して、わざとらしくも「私はカトリックだ」公表してたわけです。
実際に赤十字デュナンのことも好きじゃなかったのです。
産業革命→クリミア戦争からこの対立が出てきます。
露骨にナイチンゲールが嫌ってたのは「真理」が、「啓示」か「理性」か、という対立でした。
世界の看護師には2つの対立派閥がある
日本では、対立する宗教が入ってきても「空気の力」で本地垂迹させてしまうので、宗教対立は起こらなかっため、この事実を知る人すらいませんが、看護師には大きな2つの派閥があります。
●イギリス=キリスト教カトリック=ナイチンゲール(カトリックに憧れるキリスト教プロテスタント・ユニテリアン派)=聖路加(病院・大学)=渋沢栄一(日本銀行)
●スイス=キリスト教プロテスタント・カルヴァン派=アンリ・デュナン(スイスの実業家)=赤十字社(病院・大学)=皇室=BIS(国際決済銀行)
の2つです。
日本は敗戦後、連合軍総司令部(GHQ)の指導で、戦後日本の看護教育制度の改善を図るためのモデル校として、昭和21(1946)年、
日本赤十字社中央病院救護員養成部(のちの日本赤十字女子専門学校→現在の日本赤十字看護大学の前身)と、
聖路加女子専門学校(聖路加看護大学の前身)の共同運営による「看護教育模範学院」が開校し、
日米講和条約発効の翌年の昭和28(1953)年まで続きました。
ここから現在の看護師教育の基礎が体系化されていきます。
なので日本では、
イギリスvsスイス、カトリックvsプロテスタントという医療分野での宗教対立は起こっていないのです。
看護師は本来はフリーランスである
最近は、看護師の業務範囲を広げて特定看護師として新たな医療の担い手にしようとする動きがあります。
「看護師とは病院の医師の下の指示で働くんだ」というイメージを日本では持っています。
しかし元々看護師は、ナイチンゲールの時代から医師に遣えるのではなく、自宅拠点や訪問看護を中心として独立的に働いてたのが普通です。
本来の看護師はフリーランス。
つまり必ずしも医師に従属することなく、自宅や療養所をベースに一人につき幾らという形式で雇用していました。
これで病院から離れていてもカバーすることができたのです。
日本の男尊女卑の規制と風潮のせいで、看護師の労働環境が規制されて厳しくなりすぎだったのです。
クリミア戦争の時に看護師は生まれました、2015年頃からまたクリミア戦争やってる時に特定看護師が出来ることに因果を感じます。
イギリスの訓練の場が病院であり、アメリカでは大学や医学校が中心。
イギリスでは education for excellence を。
アメリカでは最低限を教えるという性格でした。
今で言うと訪問看護事業のことです。
しかし、そもそも訪問看護事業には2.5人以上の看護師がいないとできないので、看護師が不足しており間に合っていません。
現状、かつての総合病院は、7床1人が無理なら地域医療支援病院にされ、「~保険病院」も独立行政法人の地域医療機能推進機構(JCHO、ジェイコー病院)されて訪問中心の地域医療に移行されています。
ある意味、訪問看護事業に流されていくことはナイチンゲールの生きたイギリスのような本来の医療体制なのですが、こうなると医療の価格競争が起こってくるのです。
(参考論文リンク)
ナイチンゲール教育思想の源流 – 広島県大学共同リポジトリ
F.ナイチンゲールの近代看護の確立 – 日本赤十字九州国際看護大学
看護の歴史 (Christopher Maggs) http://t.co/vZ7sFLsiQs