なぜ「麒麟がくる」は「麒麟が来なかった」のか?

政治経済・近代学問

2020年の明智光秀の主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」が無事に最終回しました。2021年2月7日。

もともと2020年は夏のオリンピックで潰れる予定で44話と少なめの話数で制作して、それにコロナも合わさって中断して、後半が畳み込みに終わったけど、よくがんばった感があります。

ただ終わり方に関して賛否両論あり、どちらかというと「ひどい」という感想の方が多かったので、どこが問題だったのかをまとめます。

このドラマにおける結果として採用されたのは以下の3つの説でした。
・足利義昭・室町幕府再興説
・長宗我部元親・四国説
・明智光秀・天海説

「明智と土岐同族の長宗我部を攻めろで怒った四国説」と
「細川→秀吉ルートで本能寺の変を事前に知っていて中国大返し説」
を新しく採用したのは評価できます。

しかし全体を通していくつか問題点があります。

①たくさん張った伏線の回収がされなかった。
②信憑性の高い説を無視した。
③エンタメ派とインテリ派の両方を見捨ててしまった。
④一番、信憑性の薄い説に投げてしまった。

一つずつ書きます。

①たくさん張った伏線の回収がされなかった

これが大きな問題でした。
一番大きな伏線は「土岐一族」です。
明智光秀は1話目から「あなたは土岐一族の誉」と教えられ、一族の桔梗の紋を大切にしていました。
この伏線は2014年より極めて本能寺の変で信憑性の高い説となった「長宗我部元親・四国説」に繋がってくる伏線でした。

長宗我部元親・四国説は2014年の「石谷文書」で信憑性が高くなりました。
明智光秀の親会社にあたる「土岐一族」が長宗我部家にも同族がいたおかげで、安定した関係を保てていたのです。
それを信長が明智光秀に攻めろと言ったので「同族殺しをさせる気か」と明智光秀が本能寺の変に至った動機として有力になりました。

これを説明するためには土岐一族の大前提の説明がないと、意味がわからないのです。

「麒麟がくる」のドラマでは序盤は土岐一族との関係を深く描いていました。

これさえ描けば多くの歴史マニアの視聴者は「これは四国説が来る」と分かったはずです。

しかし最終回で
・愛宕山連歌のシーンをカットした
ことが致命的にまずかったです。
愛宕山のシーンは本能寺の変直前に「時(土岐)は今・・」と明智光秀が「私は土岐一族として天下を取ります」と諭す、しっかりと史実に残っている重要な場面です。

このシーンがなかったせいで、単純に怒って本能寺の変を起こしたようになってしまいました。

伏線が一切回収されなかったのです。

(参考)
明智光秀と土岐一族~愛宕山連歌と隠された歴史~

明智光秀の親会社にあたる土岐一族で見れば、南朝と北朝、古くは源氏と平氏での対立が大きく尾を引いていたことも分かりやすく話が繋がります。

NHKは自らそのような番組をやりながら、その説を採用しなかったのはもどかしさを感じました。

もし土岐一族の話を出していれば、1話からの伏線が回収されるので曲がりなりにもカタルシスから「麒麟がきた」と感動する場面が作れたはずです。

②信憑性の高い説を無視した

本能寺の変のキーワードである「土岐一族」を無視したせいで意味不明になったのと同様に

・イエズス会との繋がり

も近年、信憑性が高くなっています。

実際に本能寺の変の目撃者には黒人奴隷の弥助(やすけ)がいました。
黒人奴隷を売っていたイエズス会の書状でも、信長を倒そうと暗躍する文章がしっかりと残っています。

黒人の弥助とイエズス会は首謀者の一角でもあり、証言者だから出てほしかったです。
NHKなので国際的な目もあったのかもしれませんが。

本能寺の変の時、すでに日本は世界と戦っていたのです。

④エンタメ派もインテリ派も両方見捨ててしまった

人気の作品には「面白ければいい」のエンタメ派と、「賢い俺が理解してやるよ」のインテリマニア派の2つのファンがあります。

片方だけの作品は絶対につまらないので売れないのです。

番組サイドの気持ちを思うと片方だけに傾倒すると面白くならないのでバランスを取ろうとします。

しかし麒麟がくるでは①や②によりインテリマニア派を切り落とし、
それどころか信憑性の薄い天海説に投げたのが特にインテリ派の怒りをかっていたように思います。

将軍黒幕説でも、イエズス会黒幕説でも、全部の説をバラまいて煙に巻く方法もいくらでも回避方法はあったはずです。

そして一番見たかった本能寺後のシーンも「ナレーションで死ぬ」(ナレ死)という適当さで、「面白ければいい」とエンターテイメント的に見ていた視聴者層もあっけに取られてしまいました。

④一番、信憑性の薄い説に投げてしまった

そして信憑性の薄い天海説に投げたのが特にインテリ派の怒りをかいました。

明智光秀・天海説とは明智光秀は実は生きていて、関ヶ原の戦い後も徳川家康の重臣について大僧正・天海として生きたとする説です。
これは天海が明智光秀と同じ桔梗紋と遠山紋の2つを用いたため、明智光秀本人ではないかと言われています。

しかし
・明智光秀が120歳以上になってしまう
・何度かの筆跡鑑定でそもそも別人と分かっている

ということで極めて信憑性は薄いです。

徳川家康が明智光秀を慕っていたことは事実で、天海自身も明智家の誰かである可能性が高いです。
しかし本人が生きていた可能性は低いのです。

この可能性に投げてしまったのがまずかったです。

これは脚本家・池端俊策氏も「光秀が死ぬシーンは書きたくなかった」と語っています。

「光秀は第1話で母親に『あなたは土岐源氏だから』と言われる。子供の頃からずっと言われてきたのだと思う。源氏の武士にとって、頭領である足利氏は特別なもの、最も大事なもので、たぶん、帝よりも先に立つものだと思う。

それだけではなく、光秀が初めて足利義輝に会った時、素晴らしいと思い、この人が自分たち武士の頭領だ、この人を担いで生きていきたいと思った。

その思いが残っている。それを『殺せ』と言うのは非常に残酷で、彼がいちばん反発することだと思った。ドラマは主人公の心情を描くもの。この説はどこにもないが、彼の心情に触れることを原因にしたかった。

大河「麒麟がくる」脚本家・池端俊策氏 「光秀が死ぬシーンは書きたくなかった」(スポニチアネックス)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/331942bc857a83ebc2f0c9e35b8a5ec49eb7b504

しかしここで①のことが分かっていてやっていないのです。

これが悔しくてたまりません。

時代考証の小和田氏もYouTubeの中で説を整理していました。

おそらく今後、明智光秀が大河ドラマの主役になることはもうないでしょう。

NHKそのものに本格歴史の大河ドラマを作れる余力がすでにないので厳しいかもしれません。

それだけに非常に口惜しい結果になりました。

しかし「麒麟がくる」は前半だけは、本当に素晴らしい出来だったと感じるのでおすすめしたい大河ドラマです。

(参考)
なぜ明智光秀は本能寺へ「行かなかった」のか?

明智光秀の集結の号令「土岐一揆」とは?

タイトルとURLをコピーしました