人の動力源にあるのは何か?~エロ・グロ・バイオレンス~

心理学・精神医学

自我の対立

自我とは?エス(イド)・超自我とは?


精神構造の捉え方の基本~フロイトとユングの歴史~
https://libpsy.com/freud-vs-jung/752

古典的な初期の心理学の歴史をひも解きながら、こころの構造について学んできました。

「自我」とは、動物的本能(エス)と理性(超自我)の対立である、と分かりました。

例えるなら、それはロデオです。
(※)北アメリカ発の牛や馬に乗って振り落とされないように家畜を使役して度胸試しをするスポーツ

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人を突き動かす「動物的本能」とは何か?と言われれば、端的には「欲求」

俗っぽい言い方をすれば「エロ」(性)と「グロ」(残虐性)と「バイオレンス」(暴力性)です。

究極に突き詰めれば、そこにあるのは「生か死か」「生きるか死ぬか」という「二分法」だけです。

なんて物騒な言い方なんだろう、と思うかもしれません。

しかし、これが「ある」という前提で話を進めないと、人は「理性」での合理的な行動ができないのです。

この「欲求」は、非論理的で、非合理的で、人に対して行えば「理不尽」を感じます。

よく自分のエロさや、虐殺や虐待が大好きな嗜虐性(しぎゃくせい)や、誹謗や嘲笑や犯罪などのバイオレンスさ(暴力さ)を、これ見よがしに自慢する人がいますが、
はっきり言えば、それは超自我が育っていないため、脳が幼児のように「未熟」な証です。

抽象性の高い言葉で言えば社交性の「モラルが足らない」。
汚言症の情緒障害のように「うんこ」「死ね」「クズ」「アホ」「バカ」「ウザい」「キモい」「無能」などの卑猥語や他者卑下の罵倒語が頻出します。
エログロバイオレンス・ナンセンスとも言って、悪い意味での「ニヒリズム」(虚無主義)
「全ては無なんだから、みんな死ねばいいのに」という発想にも至りやすいです。「無」が「有る」として確信が持てればいいですが、実際には「絶対真空(無)」なんて存在しないので、これも遅かれ早かれ「自分が死ぬか、相手を殺すか。」という破滅的な発想に帰結します。

 

逆に「動物的本能なんて忌むべきことだし、そんなものはないんだ、自分は理性だけなんだ。」という人は、大人的ではありますが、抑圧が強すぎて、うつ病や統合失調症のような精神病になります。

「エス」だけの世界は暴走が起こります、「理性」だけの世界は悩みだけで行動ができません

これらが相反して綱引きしているからこそ、「自我」が保てるのです。

片方の存在を「ない」としてしまうと、非常に偏屈なことが起こってしまうことはお分かり頂けたかと思います。

人が合理的な”行動”を貫こうとする場合、その”動機”は「非合理的」な体験を受けたことに決っているのです。

徹底的に、理不尽で、不満で、問題で、不幸になるような非合理的な出来事があるほど、人は突き動かされます。

(だからと言って人に理不尽なことをやって良いというのは理性に反するということも加筆しておきます。)

動機付けの根本は「動物的本能」というエネルギー。それを行為性向して「エートス(行動慣習)」 と呼びます。

これはまた後述しますが、そのエートスは「他人との相互関係を築く」という理性的なものに繋がります。

その反対に、理性を忘れ、動物的本能に立ち返って、関係性から無秩序・無連帯になって自殺や殺人などを行いやすくなる状態を「アノミー」と言います。

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