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小室直樹氏、佐藤優氏、副島隆彦氏の著書を参考に
「神学 vs 近代学問」という図を作ってみました。
神学の成り立ちの経緯を含めて書くと、大変、分かりやすいです。
ニューノートやペンテコステやファンダメンタリストが大文字ですが、日本に影響力が強い気がして大文字にしました。 図の左に行けば行くほど、神秘的・超越的で、食欲・性欲・金銭欲などの欲求対して禁欲的です。

図の右に行けば行くほど、科学的・合理的(ratio=理性的)で、人間の欲臭(よくくさ)くなり、食欲・性欲・金銭欲などの欲求に対して解禁的です。

世界の中心で”放っておいてくれ”と叫ぶ
「理系・文系という分け方は間違っている!(1) ~神学 vs 学問~」より
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142022140.html

最近、やっとこさ、バラバラであったものが頭の中で一つにまとまってきました。
これで世界基準(world values ワールド・ヴァリュース 世界普遍価値)の神学と学問の正しい理解に到達できるのではないでしょうか。

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こうして考えてみるとやはり中世にキリスト教から弾圧された、神秘主義(悪魔・魔女・魔法)と呼ばれる古代ユダヤ教のカバラ・グノーシスの立場が正しいです。(right=事実=factとして正しい。opinion=個人の意見としてrightではない。)

だからこの世は、悪魔(と呼ばれるものの方)が正しい。

フリーメイソン・イルミナティ最高幹部のアルバート・パイクのように、ルシファー(サタン)を光の神として、お金儲けこそ=理性(ratio・reason=人間の存在理由)として悪魔崇拝をし始めたのは、やり過ぎであって、全然正しくないけども、その根本の源流である古代ユダヤ教は正しかった。

そのユダヤ教がアリストテレスがエクリブリアム(equilibrium[平衡])の思想を受けて金儲けに変わっていき、
仏陀とムハンマドとイエスが、またそれに対抗して愛の思想を説いて、
それが流行って、流行りすぎて、中世のヨーロッパを完全に支配して、統制しすぎるせいで、民衆から嫌われて、その怒り(自由になりたいという)の原動力が、現在の資本主義の源流となって、そこから共産主義も生まれた。 神の啓示に”自然の創造”を加えたために、極論、スピノザを通して自然も神と同格化されるに近くなりました。
しかし、それが現代において、ニーチェの神は死んだの言葉も通して、日常生活と信仰は別物だと、神聖(ディヴィニティ)と世俗(セキュラー)を分離されて、
また2500年前の古代ギリシャの定義であるphysis(フュシス=万物、もののおのずからある姿)に戻ったのです。

そうやって
神学(哲学と数学)による神の存在証明と、
学問(サイエンス:物理学・化学・生物学・政治学・経済学・社会学)
つまり、
自然科学(人間が作ったものでないもの:神が創造したのを研究する学問)と、
社会科学(人間が作ったもの:人間が集団で作ったものを研究する学問)による神の不在証明
によって、二分されたのです。

神学(数学・哲学)の極端に最たるものが、キリスト教原理主義者のような三位一体を信じないで奇跡大好きな集団で、

学問(科学)の極端に最たるものが、フリーメイソンのニュートンが先駆したキリスト教プロテスタント・ユニテリアン派のような三位一体どころか、科学を崇拝する科学教(理科系という宗教団体)なのです。

そのキリスト教が、いまだに神=自然であるとか言いながら金儲けしていく成功哲学に結びつけていくのが、ニューノートやペンテコステなどの奇跡大好きな人たちなのでしょう。

これを神秘主義とは言わずに、むしろカバラ・グノーシスなどの神秘主義も含めてスピリチュアル(霊性)と総称させようとしている裏は、これが東洋のバラモン教に由来するからです。

やはり現代のスピリチュアルは語源はバラモン教の差別階層を固定させる思想です。
本来の新プラトン主義(心霊主義=スピリチュアリズム)とは異なるようです。
(しかし輪廻転生の思想は初期キリスト教にはあったようだ、ニカイヤ公会議で消されたが)

パワーエリート(国際金融資本家)が、スピリチュアルで思想統制したいという意味がやっと分かりました。それが自然=神に通じていくからです。
これはすでに学問の領域がある程度、頭打ちしてつまらなくなったからです。これから更に流行ると思われます。