有能とはなにか?
勉強して成績がいいことでしょうか。
勉強で良い大学を出ていることでしょうか。
そのルートを極めた人たちは、国家公務員一種という試験を受けて官僚になります。
官僚とは暗記しかとりえのない子ども
官僚とは東京の霞が関の省庁の職員のことです。
財務省、外務省、経産省、法務省、総務省、厚労省、防衛省、文科省、農水省、国土交通省などにいる人たちです。
その中でも最高の「事務次官」(※)まで出世できるのは、東京大学や名古屋大学や京都大学などの旧帝大の国立大学出身者のみです。
キャリア組といいます。
(※)「次官」でナンバー2なのは、上の大臣は国民の選挙で選ばれた人になるからです。
表向きは官僚は、大臣(議員)のために法律を作る補佐をする人なのですが、
日本の議員は芸能人でもなれてしまうほど、そんな能力はありません。
なので実質は官僚が法律を作っています。なので官僚が実質の日本のトップです。
芸能人が議員だとすると、官僚はそれを操る芸能事務所です。
官僚は、同じ同期で地方大学出身者が入っても、すぐに学歴で出世で差がつけられてしまいます。
私も旧帝大の名古屋大学の出身者ですが、官僚になる人たちを全く信頼していません。
というか
「他にやることなかったの?」
「自分探しに失敗したの?」
と疑問に思います。
勉強して、また同じような勉強をして官僚になるので「頭がいい」というか
「暗記しか取り柄のない子」
です。
正直、発達障害のアスペルガーが大半だと感じています。
規則的に勉強だけやらされてきたので、自分の意見を持たず、上から言われたことに「Yes」とだけ言えるロボットのような存在になってしまっているのです。
なぜ教師は全く信頼できないか?
例えば、私は教育学部にいましたが、教員になる人たちも全く信頼していません。
教員そのものを信頼していません。
中には志(こころざし)を高く教師になる人もいます。
しかし大半は「公務員なので安定だろう」と思って流されるように教師になるのです。
本当に好きで教育学を学んでいる人は、私のように大学に残って研究しているのです。
何も今までセンター試験でやってきたような国語数学理科社会をもう一度誰かに教えようなんて思いません。
ということは教師は「まったく社会を知らない」のです。
国語数学理科社会のみをやってきて、それで働いて食っているので「社会で食うためには私のように国語数学理科社会の”勉強”をすればいいんだ」と思い込みます。
それを次世代に伝えるのです。
最悪です。
「私のやってきた国語数学理科社会はすごいだろう。私はこれで高得点だったんだぞ。みんなも私目指して頑張れ。」とやるのです。
なぜ公務員が泥棒なのか?
これは官僚も同じです。
国家公務員一種試験も基本的には国語数学理科社会です。
そこに法律が少し加わるだけです。
その勉強しか知らないのです。
その世界にしか生きたことがありません。
自分の正しさを証明するために、他人に自分を目指させようとするのです。
彼らに生産性があるのでしょうか?
人のためになることをしているでしょうか?
人のためになること、生産的な活動をすることを「労働生産性」といいます。
しかし官僚・公務員は「税金」で生きているのです。
税金とは、みんなから集めたお金のことです。
なんの労働生産性もないです。
労働生産性という言葉を知ろう
例えば、
おじいちゃんが畑でスイカを作りました。
スイカを作ったおじいちゃんは労働生産性があります。
そのスイカを泥棒が盗みました。
泥棒は労働生産性はあるでしょうか?
微塵もありません。
奪っただけです。
仮に泥棒が「スイカを他の人にも分けてあげるんだ!これは福祉や医療のためなんだ!」と
綺麗事を言っても弁解にもなりません。
元よりスイカはおじいちゃんの所有物であり、どう使うかはおじいちゃんが決めます。
そもそも泥棒しておいて綺麗事を言われても、悪行は悪行です。
本物の「有能」とは何か?
何ヶ月もかけてスイカを作ったおじいちゃんは有能です。
それを奪った泥棒はまったく有能ではありません。
本当の意味で「あの人は頭いいね」とか「あの人は有能だね」と言うのは、
「人のためになる」「価値を生み出せる」ということ。
つまり「生産性がある」ということ。
「労働生産性がある」ということ。
だから
「本当に有能なら、起業してお金持ちになっていないとおかしい。」
のです。
とっくに
「自分で価値を生み出して、労働生産性ある活動している」
はずなのです。
「官僚・公務員は有能なんだ」というのは、
あなたが泥棒被害にあって「泥棒は有能だ、立派だ、素晴らしい」というのと同じです。
なんの尊敬することもないです。
それどころか実は
官僚・公務員は自分で生産性を見いだせないので無能なのです。