ワクチン接種をおすすめする推奨派はなぜ「うさんくさい」のでしょうか?
・ワクチンの副作用・副反応は少ないから安全だよ。
・これでみんな良くなるよ。
こんな言葉をよく聞きます。
私自身、医療従事者ですが
「ワクチン推奨派」があやしげな新興宗教団体のようで胡散臭(うさんくさ)くて仕方ありません。
「おすすめすることに前のめりになりすぎている」からです。
まず大前提として私はワクチンに対して推奨派でも反対派でもありません。
「慎重派」です。(※1)
ワクチンという選択肢が増えるので良いことなので肯定しています。反対しようとは一切思いません。
しかし特に「ワクチン推奨派」がうさんくさすぎて、逆に接種しようとしている人を遠ざけているので書いておく必要性を感じました。
人は不安なときは非合理的に動く
人は不安なときは非合理的に動きます。この大前提を知っておく必要があります。
誰しも「未知のワクチンが怖いのは当たり前」です。それに対して「合理的に説明」しようと前のめりになりすぎると墓穴を掘ることになるので事前に知っておくと良いです。
例えば、ワクチン接種の場合、10年前の3.11の東日本大震災で福島県から逃げ出す現象と同じことが起こるでしょう。
あのとき、いくら福島県が安全であっても「不安だから逃げる」「知人も逃げたから逃げる」という非合理的な空気で多くの人が逃げ出しました。
そこには合理的には説明のつかない「非合理」の恐怖と不安がありました。
問題はそれに対して「安全だよ」と合理的に説明しようとすると「この壷を買うと幸せになるのに、なんで買わないの?」(ニコニコ)というのと同じくらい、余計に胡散臭くみえることです。
そもそも本人にとって行動動機に対する解決の説明になっていないからです。
最終的には日本人の場合「周りもやっている」「知人もやっている」という「空気」に流されます。
ワクチン推奨派が返答で失敗しているパターン
ワクチン推奨派は返答で失敗しています。
返答で失敗するパターンが大きく2つあります。
1、損得勘定
例:「副作用の確率やデメリットが低いからー」
2、反発精神や虚栄心
例:「打たないやつは周りのことを考えてないんだー」「副作用確率は少ないという知識がないんだー」
なぜこれらが失敗しているか?
「接種を拒否する側」は「合理的な損得勘定や反発や虚栄心で拒否していないから」です。
そもそも非合理的に拒否しているので、合理的に説明しても合致した回答になっていないのです。
例えば、「心霊スポットへ行きましょう」と誘われているようなものです。
いくら「幽霊なんて科学的にいないよ」「呪われたりしないよ」「みんな生きて帰ってきているよ」と合理的に説明をしたところで、
「そもそもなんで安全なのに誘うの?」という行くことに対する合理的な説明に何一つなっていなからです。
非合理な空気に対する、合理的な返答の仕方が、ワクチン接種に対して「前のめりになりすぎている」せいで、
「壷を買うと幸せになりますよ?」(ニコニコ)
「放射線が低くて安全なのに何で福島に住まないの?」(ニコニコ)
となっています。
注射したあとにも「これで幸せになったぞー!みんなも打とう!おー!」とやるので、
どこか「胡散臭い」ものに変質して余計に遠ざけているのです。
日本人の非合理を説得するには
日本の「空気」の場合、もしワクチンを推奨しようとすると「世界統計的には…」とか「医学的には…」「有名人も打ってますよ」という合理的な言葉では、残念ながら拒否している本人にとっては胡散臭さが増すだけです。
最も日本人に説得力の高い方法は「あなたの友人の〇〇さんは打って大丈夫でしたよ」という言葉です。
別に友人とその人には何の合理的で科学的な関係性はありませんが、日本人の根底にあるのは「私の知っている親しい人もやっている」という運命共同体のような身近な仲間意識です。
日本人の場合、このおうに「非合理だけども身近な事例」で動くことになってしまうのです。