ノートルダム寺院:フランスに行った際に撮影。周囲のホームレスの集落の方が気になった。

ノートルダム寺院が焼け落ちてしまった。今となっては在りし日のノートルダム寺院である。

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ノートルダム寺院が炎上して喜ぶキリスト教

あまり知られていないが、ノートルダム寺院は過去に何度も破壊されている。

炎上する以前のノートルダム寺院でさえ原型の1/3も留めていない復元だった。

では過去に誰がノートルダム寺院を破壊したのか?

それは実はキリスト教徒だ。

ノートルダム寺院が炎上して喜ぶのはむしろ敬虔なキリスト教カトリック信者。

なぜノートルダム寺院はオカルトの悪魔教寺院と呼ばれているのか?

実はノートルダム寺院はキリスト教にひどく嫌われている。

なぜならキリスト教から見て邪教だから。

その理由はノートル=ダム(Notre-Dame:フランス語で「我らの貴婦人」という意味)が箚すとおり、イエス・キリストの母である聖母マリア。

このマリア信仰による。

大聖堂の秘密

マリア信仰など三位一体から見たら邪教の異端なのである。

仮にノートルダム寺院を放火するとしたらどの宗派がするだろうか?
イスラム教は「やり返しの復讐」でないとジハードはしない。
キリスト教プロテスタントは神ではなく人間イエスを重視する故、むしろマリア信仰には寛容となっている。
結果、敬虔なキリスト教カトリックが、ノートルダム寺院をひどく嫌っているのだ。

その由縁からノートルダムはイエスの母マリア信仰の聖地であり、古代ユダヤ教のカバラグノーシス、錬金術、ヘルメス主義の聖地でもある。
今後、ノートルダム寺院復興のためにフリーメイソンが募金と復興資金を提供するだろう。

この「本物の信仰を知らないので焼いた」「美しいので焼いた」という動機づけは、日本でいうと「金閣炎上」の論理と同じなのだ。

金閣寺

フランスはほとんどがカトリック信者の国であるが、炎上するノートルダム寺院をみて追悼している人がいるのが意外である。
にわかなキリスト教信者は母マリア様まで信仰するかもしれないが、敬虔なカトリック信者であればそんなことはしないからだ。

フランスでストライキする時期は決まっている~働いたら負け~

ノートルダム寺院は浄土教の総本山

意外かもしれないがノートルダム寺院は「日本の浄土教の本来の総本山」である。

浄土真宗から学ぶ宗教の広め方

観音浄土とは?

浄土とは極楽浄土という言葉が示すとおり「あの世」のこと。
「観音浄土」と言って東北方では清涼山の文殊浄土や、南方では補陀落山(ふだらくさん:インド南端)での観音浄土の信仰が盛んだった。
「観音(かんのん)」とは「すべての音を観る」という意味。「観音様」とはすべての苦を聞いて救ってくださる仏である。
総じて「観音浄土」とは、「この世のすべての苦をあの世で救ってくださる」という信仰である。

浄土教の最古は、中国で179年の後漢の時代に支婁迦讖(しるかせん)が「般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)」を訳したことが先駆となる。
なぜ翻訳が最初かと言うとサンスクリット語の原典は散逸しており、漢語訳の訳からの初伝となる。(初期の内容としては極楽浄土よりも三昧=精神統一して仏を見ようととする、禅の考えに近い)
そして鳩摩羅什(くまらじゅう)によって多数の浄土教経典が漢訳、インドの浄土教は中国に発展した。
この時点で「この世のすべての苦をあの世で救ってくださる」という観音浄土信仰が強くなる。
シルク・ロードの重要な遺跡には浄土教絵画・彫刻の芸術作品が多くある。大半が過去生・現世・来世と救われるという「あの世信仰」になっている。

中国景教=キリスト教ネストリウス派とは?

その後、浄土信仰は、唐代の中国においては景教(中国景教=キリスト教ネストリウス派)の影響を受ける。
中国景教(キリスト教ネストリウス派)とは、神の子イエスを、神と人とという2つの解釈を入れることで、母マリアは神ではなく人であったと考える宗派である。
(431年のエフェソス公会議で聖母を軽視するなと異端認定されて迫害されたが、7世紀頃にはモンゴルや中国へ広く伝わった。)

唐の太宗の時代(635年)にペルシア人司祭の阿羅本(アラボン)によって景教は伝えられ、高宗、玄宗、代宗の時代まで庇護されて781年頃まで中国各地に景寺(キリスト教会)が建てられた。(840年頃に武宗の時代になると道教を重んじて、外来宗教に対する弾圧(会昌の廃仏)によって衰退していく。)

観音浄土信仰とキリスト教マリア信仰が合体した宗教が日本へ輸入される

この間、元々女体を形どっていた観音菩薩信仰(浄土信仰)に加えて、中国景教のキリスト教マリア信仰も合わさっている。
そして800年には空海(真言宗開祖)や最澄が(天台宗開祖)が入唐し、浄土信仰と中国景教が真っ盛りの唐で学んで帰ってくる。
空海の真言宗も中国景教の影響を多く受けていた痕跡が多く見られる。後世に長安・西安にある「大秦景教流行中国碑」(大秦=中国景教の寺)のレプリカを高野山に建立するほどである。

そしてのちに中国浄土教の善導(ぜんどう:613~681)に影響を受けた法然が日本で浄土宗の開祖(1175年~)となり、浄土真宗の親鸞へと続いていく。
事実、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、景教の聖書の一部(マタイによる福音書の「山上の垂訓」を中心とした部分)の漢訳である『世尊布施論』が所蔵されている。

マリア観世音菩薩と呼ばれるようになった由来

そもそもキリスト教ネストリウス派のようにイエスの神性を薄めさせると、キリスト教としては異端とされやすい。

なぜかというとキリスト教カトリックでは「神とイエスと精霊」は三位一体で神と同じように考えているからである。
あくまで「イエスは神で、母マリアは処女懐胎(交わりなく妊娠した)のであって、聖母である」としたいので、人間であってはまずい。
しかし民衆の心にはこの神秘的すぎる話はピンとこなかった。
教会が権威付けのためにウソをついていることを薄々感じていた。

大衆にとって「人としてのイエス」を崇拝し、「人としての母マリア」を崇拝したかった。

キリスト教のマリア信仰は「イエスより母の方が偉大」という「キリスト教の罪の逃げ場」となった。

それがシルクロード経由で中国景教、日本の浄土教、日本の観音菩薩信仰になった。

日本では「マリア観世音菩薩」とも呼ばれて信仰されている。

はっきり言って浄土教の本来の総本山である。

浄土教はもともとは中国の景教→中国浄土教→日本の浄土教ときていて、景教は元はシルクロード経由のキリスト教でマリア信仰が入ってきた。

仏像の観音菩薩が女体化してしまったのはこれが原因。

美輪明宏さんとかは観音菩薩のことを「マリア観世音菩薩」と呼称しているが、それで合っている。
実際に隠れキリシタンも「マリア観世音菩薩」と言って崇拝していた歴史的な祠(ほこら)はいくつも残っている。

マリア観音と隠れキリシタン

マリア信仰はキリスト教の本地垂迹

元々ノートルダム寺院のマリア信仰はキリスト教の本地垂迹版。
天照大御神を大日如来と言い換えたりしたのと同じだ。

ユダヤ教やイスラム教の一神教からすれば、キリスト教の三位一体など意味不明。
父と子と聖霊、神とイエスと聖霊司祭王ローマ教皇が一体では、三神教になってしまう。
母親のマリアまで入れたら四神教になってしまう。
ユダヤ教やイスラム教の一神教から見てもこんなにおかしいことはない。

人類は元来、火や山の自然を畏れる自然崇拝アニミズムをする。
そのベースにキリスト教の論理を乗っけようと思うと、カグツチを不動明王と言い換えるような本地垂迹の説明要素がないと広めることができないわけである。

古代ユダヤ教も、カバラ・グノーシスも、錬金術も、ヘルメス主義にしても、そこからマリア信仰になってノートルダム寺院を作り上げた歴史が、シルクロード経由で中国景教、中国浄土教、日本の浄土教、隠れキリシタン、マリア観世音菩薩の本地垂迹までワンセットなのである。

今風に言うと、戦艦が女体化して艦これ、日本刀が美男子化した刀剣乱舞、織田信長などの戦国武将が女体化されてしまったのと同じ。

シルクロードで観音菩薩がマリア信仰フィルター通して女体化されてしまってフィギュア化(仏像化)されて日本に渡ってきてしまったのだ。

金閣炎上も、ノートルダム寺院炎上も、宗教論理から外れたという意味では本質的には同じ。

隠れキリシタンというキリスト教論理に遠く及ばない日本独自の宗教を、聖霊王ローマ教皇が認めるのは、本地垂迹の仲間同士じわじわくる。
日本発祥のナポリタンスパゲティと逆輸入されたカリフォルニアロール寿司が意気投合したような意味不明さ。

イタリアのトマトソースパスタを真似てみた日本発祥のナポリタンスパゲティ。
日本の寿司を真似てみたアメリカ発祥のカリフォルニアロール。
似て非なるものだがこれが本地垂迹。
それなりにブランドを確立してしまっている。