たまに「孤独死は好きで一人が良くて死んでいるんだから良いじゃないか。」「尊厳死と同じだ。孤独死は奨励すべき。」というとんでもない意見を聞くことがあります。

はっきり言えば、これを言う人は人生において一切の苦労した経験がありません。お金持ちでボンクラのまま生きてきた人です。

なぜかというと「社会的孤立」の経験をしていないからです。


「孤独死」と「社会的孤立」はワンセット

「孤独死」に至る「前段階」です。
失業や解雇や離散や死別や介護や経済困難等のっぴきならない状態のことを「社会的孤立」と言います。

例えば金融恐慌で仕事が解雇・失業した、家族が死別して離散した、親が難病になって介護が必要になった、災害によって経済困難になった等々、努力ではどうしようもならない理不尽なことは起こります。

そんな時に適切に医療機関や社会福祉機関に行って対応できればまだいいですが、気落ちしてしまったり、精神的に病気になったり障害を患ったりして無気力状態になることがあります。

そして「自分で一人でなんとかしなければ」と追い詰めてしまった結果、孤独死へと向かっていくのです。

「孤独死」と「社会的孤立」はワンセットで起こります。

どちらもなりたくてなっているわけではありません。

社会的孤立の段階で適切な医療機関や社会福祉機関にリファーすることが大切です。

美談にするのは最悪

最悪なのは孤独死や自殺を「本人の自立した意思決定だったんだよ」と美談にすることです。
「臭いものにフタ」「死人に口なし」。

特攻隊やインパール作戦を環境や背景を無視して「日本人が死んでよかった」という結論にするのと同じです。

問題と自分を棚に上げて、関係ないとするだけならまだしも、美しいと肯定しているからです。

こういう人からは何の共感もされないので人が離れていってしまうでしょう。

そうやって違う切り口から孤立が始まっていくのです。


自殺者も社会的孤立が最初にあるのは同じ

これは自殺者も同じです。

私のようなカウンセラーサイドから見ていると「問題」にからまった「悩み」の「糸くず」が見えていれば、こちらから結論出さずに本人がほどけるように遠回しに促せます。

しかし糸すら分からない段階がより深刻なので、それが見つけられるまでスタンダードな寄り添い共感するしかないのです。

自殺者が増えるとGDPが下がる。
GDPが下がると給料も下がる。
GDPが下がると自殺者が増える。
GDPを下げる主要因は税金の増税。
日本で30年以上続く相関因果関係も十分ある悪循環です。

「自殺者は自分には関係ない」「自由にすれば」という人がいるけど「大きな系」の因果で物事が見えていません。

例えば「ゴミ捨てても拾う人がいるからいいだろ」→行政で税金で清掃員を雇うことになる→増税と同じです。

それが自分の損とデメリットになるのに気付いているかどうか。

社会的孤立を防止するには

「社会的孤立」を防止するのに地域包括支援センターとの連携事業と民生委員の訪問等がありますが、本人が客観的に貧困の問題だと自覚していないケースで衣食住のADLを負のスパイラルで訴えがないとソーシャルワークアプローチが手狭になって、いくらマイナンバーで実態把握していても孤独死の穴に落ち込むのです

よって専門ワーカーではなくソーシャルな推進装置を作り出せる地域福祉援助技術が重要になります。