はだしのゲンを推薦図書からなくすことが問題になっている。


ド直球の問題に向き合おうとしない日本人

広島市が「はだしのゲン」で、
隣の市が「この世界の片隅に」で、
隣の隣の県が「火垂るの墓」

欧米の感覚ならゲンのようにド直球の広島の原爆被災地を題材にするだろうけど、
日本の場合、臭い本体にはフタしてナイナイにしたいのと、悲惨すぎる故あまりに非日常すぎて、逆に平和ボケの人に共感されにくい。
そのため外枠の日常生活から匂わせで巻き込まれていく演出したほうが共感されやすい。

敵に楯突いたら応援してくれた味方からも裏切られるカムイ伝

「カムイ伝」は重税による貧困と差別の抑圧社会を上へ直訴したら拷問された挙げ句、助けようとした村人からも更に苦しくなったと誤解され追い拷問される、不条理と理不尽が極まってるので、今の財務省支配の日本に合ってる。

ツイートに多数のいいねと大量フォロワーが集まったので、有志で実行に移したらその行動が炎上させられて、いいねリプくれたフォロワーから袋叩きに合って、炎上の両面焼きという身も蓋もないような話。

いじめの構造は最大の加害者と最大の被害者を「集団から押し出す」こと

俗に言う日本のいじめの構造と同じ。

集団から支持されうぬぼれた加害者も、迫害された被害者も
「押し出された者は動物本能に負けた弱者」とされ集団の生贄にされる。表裏一体の繰り返し。

7人以上の小集団以上だと起こる間引きの自然淘汰。シャーデンフロイデ。ゲーム理論で逆張りする人が出てくる


役割を演じようとしてしまう

虐待保護施設の児童でさえ、
安定した自己形成の2軸である
俺について来い系の「理想(父親役割)」と
何でも許して助ける系の「共感(母親役割)」
集団の中で、どちらか空いた「役割を演じてしまう」
父か母になろとうする。死に直結するアノミー(無連帯)に抵抗する本能。

例えば、何でも殴っるようないじめっ子が、更に強いやつが来たら、二人で殴りまくるわけではなく、片方が母親役になり、
母親役で共感に徹していた優しい子が、他に母親役が生まれると、理想を語る父親役に変わる。
「心理役割の外部の引き受け」の繰り返し。自分の生育環境を社会で再現しようとする

カウンセラーは両方の役割を求められるが…

自己形成で、
理想的な存在になろうとすれば我を強く自己主張していかなければならず、
共感的な存在になろうとすれば白紙(タブラ・ラサ)で存在してるようでしてないほど我を消さなければならない。

クライエントを傾聴して見極めて与えるのは至難の業。周囲人物で役割の人がいれば良いが。