マズローの5段階欲求というものがある。
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実は悩みは2つしかない
マズローの欲求5段階説は個人だけでなく「環境」にも適応される。
上位の階層の環境に、下位の者(神経症・人格障害・精神病圏)が入るとそちらに巻き込まれてしまう。
その集団で「目的」「目標」があっても、下層の個人の「感情」を幼児のように満たすことが優先されてしまう。
「仕事の成果が出るか、出ないか」以前に「私が見捨てられないか、死か」を最優先してしまう
例えばマズロー階層上位の者にとっては生理・安全・所属愛欲求は満たされているので仕事が「成果が出るか、出ないか」が問題になる。
自分の問題を客観的に置ける。
しかし下位の者にとってはまだ安全も満たされてないので「死ぬか、見捨てられないか」という欲求が最初に出て他者を攻撃する。
元々人格障害者の「敵か、逆らわないか」の二分法思考との相関の高さは、動物本能並のIQの低さからくる「生か、死か」が根本にある。
安定している人は実感しにくいが、常に「見捨てられる=死ぬ」と脳内で唱えているので、殺される前に相手を殺すか、注目賞賛欲求で過度に目立とうとする。
「生か、死か」で生きる方向に選択肢があるならまだ展望がある。
残念ながら人格障害は「見捨てられないか、死か」という選択肢になっている。
常に死が隣り合わせ。
見捨てられないためにいかにして目立ち、他人を攻撃して自分よりもっと不幸な目に合わせるか、という行動になって現れてしまう。
例えば、人格障害者に「赤いボタンを押すだけの作業」をやらせたとする。
「目的」以前に「見捨てられないか、死か」の解消が先にくる。
低次元欲求を満たすことが最優先されるので作業は無視。
なので自分がいかに偉大か、他人を誹謗中傷して攻撃、見下し責任転嫁する行動がまず最初に現れる。
職場や学校や家庭で、マズローの欲求5段階の上位の人と、下位の人が話すとどうしても噛み合わないのはそのため。
高校生と幼稚園児の差がある。
表向きの地位や序列は全く関係ない。
心理的な脳の発達の差。
そこに人間関係の軋轢とストレスが生まれる。
心理的に下位の人が上位の人の言っている意味がわからないのは当然だが、実は上位の人も自分がクリアした下位の階層の問題に気付けない。
多くの場合、ごく自然に解消されたか、自分を客観視する能力はあってもそこまで深く過去の自分を掘り下げて内観洞察したことはないため。
「終わった姿」がイメージ先行して内容が無視される
例えば、仕事でアスペルガーのような自閉症スペクトラム障害の方に「赤いボタンを押すだけの作業」をやらせたとする。
まず最初に脳内に「作業が終わった姿」がインプットされる。
教示や過程は無視される。
なので全然関係ない「青いボタン」を勝手に押して「一生懸命やっていました!」となる
どんな立場でも関係なく低いとがっかりする
仮にどれだけ年配者でも、地位や名誉があっても、どれだけ技術力があっても、
どれだけテクネー(アートの語源、技術)を修得するのに探究心もあるし努力も惜しまない人でも関係ない。
それを教える人のマズローレベルが低いととてもがっかりする。
動物か幼稚園児に教わっている気分。
機嫌を取るのが最優先なので効率が悪い。
正直それが一番つらいのだ。